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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

たった一度だけ

ご存知、たった一度だけである。

 

だから何だと思い、日々めまぐるしく同じ場所で浮遊する。忙しい。

頭の中だけが忙しい。身体も声も置き去り。

 

あまりにも長くないだろうか?と思う反面、ついこの間「今年も終わるのか」と言ってなかっただろうか。

一日一日が長く、一年一年が短く感じる。

それはどうやら歳を重ねている証拠で、新しいものを受け入れる態勢が無い状態らしい。納得だ。

時々テレビを通して、上手に歳を重ねた紳士婦人(一般人)を見る。

ずるいとも、うらやましいとも違う、何とも言えない…そうだ、同じ人間とは思えない、と思う。

それで終わる気持ち。

後にも前にもつかない感想を持って今日が終わる。

カロリーが足りてない、それだけは実感する。私は今日を越える分のカロリーを摂取し損ねた。いくら何を思おうと、エネルギーが足りてない。

寝入り、自分に都合の良い夢すら見れない。

目の前で人が死んでいく、それをどうもしない自分を普通とする、ありふれた現実を夢に見て、目を覚まし、ただこれじゃ、「行ったり来たり」してるだけみたい。

ここは何回目の何日だろうと少し考えて、よくわからないでただ居る。

昨日とは違うんだということはわかるよ。

 

 

 

能動的に脳活

今年の初めころから(もう8月末!)なんとなく思っていたことがある。

いや、なんとなく思っていたのはもっとずっと前だった。

それ、を意識して過ごしてみて、照らし合わしだしたのが今年初めだ。

私はおそらく発達障害的だ。

ここで「こういうところが」とすべて記すことはないけど、参考に読んでいた当事者ブログや文献のおかげで、自分の中で、今までのなぜだったんだろうともやもやしていた出来事が腑に落ちた上半期でした。

唯一、一番困っていた、「こういうところ」をひとつ。

 

たくさんのことを常に同時進行で考えてしまう、ので、優先順位が決まっていないと(自分が理解していないと)詰む、ということがよくあります。

今年の初めからそれを意識して過ごし、頭の中の思考のレイヤーに番号や色を付り、改善に努めました。レイヤー分けしてみると、私の頭の中には、平均して35~40の「かんがえごと」がありました。

色を付けることでジャンル分け(青→自分だけの事、黄色→家族の事/黄色+赤→子1のこと、黄色+桃→子2…、やりたいこと→水色、やらねばならぬこと→赤、なんでもいいこと→白)して、

番号をふることで、期限があるものや、準備に時間がかかるものから優先していけるようにしました。

すぽっと抜け落ちることもありますが、カバー出来たり、カバーできなかったらできなかった!とちょっとへこむくらいです。

 

ああ、あの、たとえばですが、重要な契約書や証明書、印鑑や通帳、それらと、小学生の頃から持ってる(要るか要らないかよくわからない)もの、食べかけのお菓子やMDや使い道不明な配線コード、借りパクしたままの漫画とかが全部ごちゃ混ぜになって一緒の引き出しにしまってあり、そういう引き出しが何個もある、という状態です。

その引き出しを整理整頓し続けている状態です。

まだ飽きてないので(きっと効果が出てて、上手くいった時の成功体験が嬉しいから)しばらく続けてみようと思っています。

そのうち無意識に出来るようになったら最高だな!なんて思うくらいには呑気です。

 

越えない、開く、そのときに

結う

知らぬ無念を知れぬまま結う

今日目覚めた私

目覚めの直後、白々しく瞼を閉じて、思う

ああ、今日がきた

ああ、また今日がきた

昨日折った鶴は裂いて四角にした紙袋

名前を打ち込んだ紙

折りこんで内側に消えた名前

そういえばそのようにして消えて行った名前

 

まだ探してる人がいる

探すことだけに日々を使えないが

忘れてしまったわけじゃない

もう自分の中に溶け込んでしまった

それを日常と呼ぶにはまだ、もう少しでしょうか

それを結いゝ呼ぶにはもう、もう少しでしょうか

ずいぶん前に、ずいぶん長い間、内側に織り込んだあなたの、

名前まで、もう少しでしょうか

 

 

 

八月十五日

目を閉じてできる旅

私の好きなうたの歌詞

 

■(please)forgive / bump of chicken

 

http://j-lyric.net/artist/a000673/l030b2e.html

もちろん曲全部、唄が好き。

ヘッドフォンをつけて何か作業しながら聴いてて

油断してると泣いちゃうやつです。

 

 

■サザンクロス / bump of chicken

http://j-lyric.net/artist/a000673/l030b33.html

過去の事を思う今、

今知る由もないあの時の約束は、これから、何度も思い出す

いつだってそばにいるよ

油断してなくても泣いちゃうのは心当たりがあるからかもしれない。

全然思い出せないけど。

鈍するために

もっと早くに知っていたら、もっと違う風にできたのに

と思う日が時々ある。愚かしい。馬鹿馬鹿しい。そんなわけない。

私という人間は、このようにして知っていき、このようにして過ごして初めてわかるのだ。他人の痛みや自分の痛みを理解するまで、こんな風にして、やっとなのだ。

今もまだわからないことばかりで、つらいなと思う。

でも、もう焦りはない。どこの時点で焦りが消えたのか(或いは見えにくいだけなのか)思い出せない。ブログを始めたのは大いに関係あると思う。というかそれしか思い当たらない。

私が知らない私の中身を、私が勇気をもって吐き出した。

飲み込んだ言葉や感情をもう持ちきれなかったのだ。だから吐き出した。

たいへんよく出来た。自分を褒めてあげたい。

アウトプットすることは私によく効いた。言葉は選びに選んだ(この作業も良かったのかもしれない)が、誰にも言わなかった私の本心を書いてきた。

 

今ならとても上手に遡れる。褒めてあげたい。

時間がかかった。私にはこんなに時間が必要だった。(ちなみに病気が治ったわけではないし、ばりばり働けてるわけでもない。状況はどん底の時とほぼ変化してない。変化したのは私の中身だけだ)

アウトプットしようという目的をもってしたわけじゃない。

私がbotじゃありませんと伝えたかった。名無しのままじゃいけない気がして、失礼の無いようにと始めた。小さなきっかけだったけど、決断したのは私だ。グッジョブである。その時の私、グッジョブだ。

今も文章を読んでいる。作り話や本当の話、自分が気になった物はすべて読む。

私はたくさん失ってしまった。そこに詰め込むように読む。「自分が知りたいこと」を次々と詰めてく。詰め放題。

「たくさん失った」けど、私にとってどうでもよいことまで持ってた気がする。

もうそれが無いのでスペースはがら空き!詰め放題放題放題である。

私が自分を知ろうとする限り、大丈夫なのである。高校生の時には「マジかよ」と思ったアレだ。我思う故に我在りである。

28歳まで生きれないかもしれないと確信めいてたアラサ―が、知らない間にお気楽アラフォーである。時々沈みながらではあるけど、だいたい、大丈夫である。

 

私は泣きそうだ

ひどく辛いことがあったのだろうか

そうだ、と言い切れないすぐ傍で、あった、と思う。

それは私の中の気持ちだ。泣きそうなのは、私の気持ちが、辛いであり、悲しいであり、無力感であり、少しの大きな希望を見たからだ。

とうとう(いつか訪れると思っていた)感情が生まれた。

私はあなたとつながり続けたい。

会いたいと思う。迷惑なら叶わなくていい。

会いたいと思っている、それは伝えたいと思う。

 

価値?そんなものは意味ない。意味はいらない。

私はあなたの文章が好きだ。徒然とした感情表現が好きだ(実際には徒然などしていなくても)。

溜息のような悲鳴だ、そう思った。

引き千切られるような時間を過ごす日、けろりと受け入れている日、バカみたいに毎日目覚めてしまう繰り返す朝に、思う。

今朝は頭が痛いなぁ。私は何歳まで生きているかな、その間に、会いに行けるかな、間に合うかな、彼女も私も、生きて間に合うかな。

互いの訃報が届くくらいには友達になれるかな。

今できることをする。

いつかをただの過去にするために、こつこつと、500円玉貯金だ。

5年くらいかかるかもしれない。

それまで頑張れるかな、頑張ろうかなわたし、出来ると思う。

やってみるね。

それまでは泣かないようにしたいけど、今もうすでにアレです。

だってあまりにもあなたはフローライト。

 

花束

なにかもちがってますか

という漫画を少し昔に読んだ。1巻しか読んでない。

この漫画の作者の他の漫画で、「なるたる」と「ぼくらの。」を読んでいる。

両方最後まで読んだはずなのだけど、記憶にはもやがかかっている。

 

お酒を飲んで酔った時の事を、翌日「よく覚えていない」という現象があるが、それは「覚えていない」のではなく、「アルコールを摂取した脳がリアルタイムで見ている物(光景)が正確ではなく、それをそのまま記憶しているからである」というような解説を見た気がする。

まったく同じとは思わないけど、漫画を読んだ当時の私が、描写された光景を正しく読んでいなかった可能性がある。あるいはトラウマだ。

あまりにもかなしい現実を見た事だけが私の中にある正しい記憶だ。

 

なにかもちがってますか、は

いつか読まないとなと思いながら今に至る。すっかり忘れてしまう事が出来ないのことには、明確な理由がある。読まないとな、と定期的に感じる場面が、日常が、私の目の前で頻繁に起こるからだ。

私は日常的にバスに乗る。

バスに乗るために、バスが来る時刻より少し前にバス停の前に突っ立っている。

だいたい同じメンバーの知らない他人が毎日バス停の前に突っ立っている。

恐ろしく寒い日以外は、メンバーはバスが来るまでの間、スマホを見ている。

私は外で携帯やスマホを見ることができない。私なりの理由はあるんだろうが、よくわからない。だから、外出中にメールが来ても電話が鳴ってても気づかない。

運よく私が休憩の為にどこかで座らない限り、電子機器の画面を見ることはない。

私は運よく視力が良く、この裸眼で見る景色や人を見ている。

しかし、他人には、私のような人もいるが、そうじゃない人もいる。

バス停の前に突っ立ってる私の目の前を乗用車が通り過ぎていく。バスはまだ来ない。

何台も乗用車が通り過ぎていく。

ロゴが付いている営業車はいつも同じ時間に私の目の前を通り、同じ方へ曲がっていく。その車以外は、毎日同じ乗用車かもしれないが違いがわからない。とにかく何台も走り去っていく。

ある日、数えたことがある。バスが私たちを迎えに来るまでの数分間、乗用車の運転手が何人、前を向いていないのか。

運転をしながらモニターを見て笑ってる運転手、明らかに片手で電子機器を操作しているために前を見ないままハンドルを握りアクセルを踏んでいる運転手、歩道の確認もせずウィンカーも出さずに左右折する運転手、

両手を過ぎて数えるのをやめた。

本当にうんざりするんだ。人は見た目じゃないっていうけど、本当にそうだと思う。

そういうことしてる人、外見がヤンチャだとかそんなこと一切ない。

常識人そうな見た目、身なりしてる。「ふつうのひと」だ。

うんざりする。

うんざりして、それだけだ。どうしたらいいんだろう。なにができるだろう、そう考えなきゃいけないのに。

そして「なにかもちがってますか」を思い出してる。

 

私は、近所にいる変なおばさんになっている。

今目の前を、通り過ぎていくイキりナメクジ運転手を止めることはできない。

赤信号、とまれの信号機の前できゃっきゃっ遊んでしまう小学生をたしなめる。

ありがたいことに、私の住む町の歩行者側の信号機の地面には「絵」が描いてある。

「この絵を見て、信号が青になるまで、この絵を越えてはいけない」と、子供に話しかける。子供は知らない人に話しかけられて訝しそうにする。

でも「絵」を見れば、この変なおばさんが「何をいっているか」は「子供でもわかる」。

子供でもわかる。

それでも偶発は起きるんだろう。

防げる偶発を、防ぐ意識を働かせる、というのは、面倒くさいのかもしれない。

でもやるしかない。それしかできない。やる。

とにかくうんざりするし、とにかく嫌なんだ。

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。