空っぽにはなれない
うつの症状が一番ひどかったのは初期(診断されてから2年くらい)だったと思う。
どういう風にひどかったかは、うつを知らない人(或いは否定的な人)にはどう説明しても理解できない(これは当たり前だと思う。今ならそう思える)から書かない。
だから今日は、うつを知ってる人だけの文章になるかもしれない。
当時、めちゃくちゃな私の話を聞き続けてくれた人はいたけど、その人がたまたま「プロ並みに聞き上手」だったから事なきを得たという状況だった。
あんな状態を普通の人に仕掛けてたら、関係をぶった切られるか、道連れうつにさせてしまうか、だと思う。いま本当に感謝してる。その時はしてなかったけど。
それでも吐き足りないありとあらゆる感情や思考があって、それをノートにビッシリ書いてた。それを最近改めて見ると、5割がた、自分にもわからない記述。
文章の時もあるし、単語の時もあるし、謎の英語の時もある。落書きもあって、その時ハマってたのか、しばらく宇宙について心馳せる記述が目立っていた。
宇宙に行きたいなーという馳せ方ではなく、宇宙の中にいるんだねーという馳せ方でした。小さいものや大きいもの、なんか得体のしれないイライラも、宇宙だなーって思ってた時期が書き連ねられていました。
楽しかったんです。
それをしてるときは大抵泣いてるんですけど、ノートにガチャガチャ書いてく作業が楽しかった。
無表情でしたけど。
そのノートのページが終わりを迎えて、それきり新作には取り掛からなかったんですが、その時の私は、とても謳歌してたように思うんです。
書き終わった後、混沌がゴロンとやってきて、深い場所まで引きずり込むんです。
浅瀬なのにこんなに潜れるのかよって場所で。
深くて暗い場所から混沌が、ただただ混沌であることを私に知らしめる。
孤独とは?
そんな質問が投げかけられたような気がしていた。
孤独とは、コドクとは孤独にいい感じだと思う。
とても心地いい。そう答えた気がする。
お気の済むまで
と、どーでもーよみたいな感じでいったりきたりしてた。
私には孤独が来るので、本当の意味では孤独にはなれなかった。
そうなるには私が空っぽになってないと孤独になれないと思った。
一度だけ、混沌の一番深いところまで潜れた気がした日があった。
とても静かで(うるさかったかもしれない)暖かくて、暗くて、落ち着いた。
この時は私が空っぽになれてたのかもしれない。
ずっとそこにいたいと思った。
それきり、孤独にはなってない。
混沌も来ない。
私は、今、素晴らしい文章に毎日出会って唸っている。
ああ、そういうことだったのか、と、私が解けなかった出来事の認知の参考になる文章はありがたく、大切に読ませてもらっている。
そして参考文章に則り、物理的ですぐ出来そうな行動はするようになった。ありがとうございます。
私は、何かに感動できる今の私を喜んでいる。
もう戻れないんだと、毎日、思う。
身動き一つ取らずに行けた場所、混沌の渦の中、孤独がある、あの場所。
これから私はたくさんの文章を読んで、今よりも大人になって、取り巻く環境も自分も変わってしまって、くたびれてしまっていつか、また、空っぽになれたら、会えると信じてみたい。
注意点・他人の孤独に足を突っ込まない事、これだけは気を付けようと思う