私の悪事は実行された
躾というものがある。
私は幼少期の躾により、大人になって出来ることと出来ない事があるってわかった。
躾の中には、「この家庭だけ」でのルールも入っているから。
中学生の時、桃の写真を額に入れて飾っていたら(当時の私には、それがとてもオシャレな映りの写真に思えていて、アート的な扱いで飾っていた。今手元にはないけど、今見たらきっとただの桃の写真だと思う。桃の写真飾る中学生ちょっと怖い。)
私の部屋に来た父親がそれを見つけた。
「どうして桃の写真を飾ってるんだ」と聞かれ
「きれいだと思ったから」と答えた。
そしたら彼はこう言った。
「今日から毎日、この写真を拝みなさい。大切に扱いなさい」と。
桃は神様のほにゃらららららんとかなんとか続いてた話は全然覚えていない。
私はその時、言われるがままに桃の写真に手を合わせ、彼が持ってきた彼御手製のお経みたいなものを読んだ。最後に手を合わせて「合掌」と言わされた。
大人になってわかったけど「合掌」ってそもそも手を合わせるものだから発声する必要なかったんじゃないのお父さん。
大勢で祈るときに「合掌」「黙とう」と号令みたいに言う係りの人がいるだけで、、。
その半年後に両親が離婚したので、桃への祈りはすぐ終わった。
母親についていくと決めたら、引っ越すことになって、新しい家に父親が何回も来て復縁を求めていた。
あの時はまだ離婚成立してなかったのかもしれない。
引っ越しの時、母親が「必要な物だけ持っていこう」と言って家財は何も持たず引っ越ししたので、まるで旅行に行くくらいの荷物だった。
あれは「まず強制別居を実行した」だけだったのかもしれない。
新しい我が家はボロ過ぎて居心地が良かった。桃の写真を拝まなくてもいいし。
新しい我が家には友達を呼んでもいいと言われたので嬉しかった。桃の写真も飾ってないし。
のちのちボロ過ぎてションボリすることになったけど。
私にとっての実家は、あそこだけだったと思う。
唯一家族が一緒(-父親)に長く暮らせた家。3年くらいだったけど、それが一番長かった。
この頃から、母親はネグレクトではなかった。
正しくは、私自身が成長したので、自分で出来ることが増えただけですが。
そして三年後、私はその家を出て、一人暮らしを始めることになった。
内定が決まってた会社から内定取り消しの連絡があったのでバイト生活。
そういえば、内定取り消しの事を連絡くれた人が大変申し訳ありません申し訳ありませんって言ってたけど、私は、あ、そうですかーって言っただけだった。
腹も立たなかったし、理由も聞かなかった。
頭悪いのとACの思考。こういう適当さがこういう時にも出てしまっていたのかな。
まあそんなんで夢にまで見た自活!
私は我慢してた、ずっとやってみたかったことを実行した。
この部屋には私ひとり。
誰も怒る人はいない。
そーっと小さなテーブルに左足を乗せて、深呼吸をして右足も乗せた。
私はテーブルの上に立った。小さいテーブルだったので、動き回ることはできなかったけど、とりあえずヤッター!と叫んだ(小さい声で)
私が大人になって社会人(バイト)になって自立して一人暮らしを始めた初日にしたことは、テーブルの上で仁王立ち、でした。
幼少期の躾で「テーブルの上に乗ってはいけない。ぜったい。ぜったい。」と言われてきたのでそれはとても悪い事、と思っていたので、達成したときは悪い事してる、、という気持ちと、なんというか、清々しい気持ちだった。
どうして乗りたかったかと言うと、幼少時代の友達がテーブルに上がって遊んでたから。とっても楽しそうに。その家のお母さんは「こらー!」と言ってたけど、引きずりおろしてビンタしたりしてなかった。
友達は「コラコラ怪獣が現れたぞ!逃げろ!」と言って、遊びの延長に夢中だった。
私は信じられない物を見たように固まっていた。
そして、うらやましい、と思った。
時間はかかったけど、そんなこんなで、私は大人になってやっと、叶えたのです。
今でも時々、どうしようもないくらい煮詰まった状態になると、その悪事をします。
今のテーブルはちょっとだけ大きいので、2、3歩進んでターン!とかもできます。
楽しいか?と聞かれれば言う程楽しくないですけど、
普段の視線と違う物が目に入って少し楽しいです。
同効果として、床に寝そべって横を向いて、ひたすら床から目線を楽しんだりしてます。だいたい床に落ちてるゴミを見つけてブルーになります。