backNumberlock

大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

見つけて掴んだ糸を編む

与える、与えられる、という表現が嫌い。

「夢や希望を与えたい」と言った人(自分とは無関係、他人)を見たことがあるけど、条件反射的に「なにさまですか」と思ってしまう。

その発言に執着して、内容の本質に気付いてないわけじゃない。

きっと、私が思うような意味などない。

別に上から目線で言ってるわけでもない。伝えたいのはそういうことじゃない。

って考えられるようになった上で、

「夢や希望を届けたい」というような表現をする人が好き。

 

どんなに取り繕っても、私が自分が嫌な思いをしないように解釈を緩めても、「与える」と「届ける」の違いは大きすぎる。

私の中でallot<>forくらい違うという印象が強い。

もしかしたらそれであってるのかもしれないとも思う。

 

どうして拘ってしまうのか、理由はなんとなくわかる。

幼少期に与えられなかったからだ。

自分に与えられない理由を、子供なりに考えたら、純粋に湾曲に歪んだ。

それだけだと思う。

子供にだってプライドはあるのだ。周りの人が持ってるものを自分が持っていない時には持っていない絶対的な理由が必要だったんだ。

 

今の私は、貧乏な状態が悪いと責め立てる気はない。

どうしたって無理なときってある。今なら理解できる。けれど当時の私はもっとシンプルだった。貧乏な理由が欲しかった。

「こんなに家計が大変なのにお前にこれを与えてやる」という父親に、感謝の念を持ったことは一度もなかった。思い起こす限り一度も。

 

私は囚われてるんだなぁ

嫌いな人に、囚われたままで不自由を感じて生きて行くなんて嫌だなぁ

 

認知したから、これからは大丈夫だと思う。

 

 

 

 

 

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。