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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

点と点で繋いだのは直線だけじゃなくて緩やかな

会話をしていて苛立つことがあります。

それは言われたこと自体に怒っているわけではなくて、論点がずれていることに気付いてもらえない時、或いは指摘しても戻してくれない時に苛立ってしまいます。

 

その都度、来た波に上手に乗れたら最高の気分なんだろうな~とか妄想しながらやり過ごすようにしています。

会話っていうのは生ものであり、変幻自在でもあるんだと最近知ったのです。

自分の中のなにが原因なのかわかりませんが、局所的に潔癖な感じがします。

論点がずれた会話はもうしたくないという気持ちが強めです。

 

今もその感じは持ってるんですが、表に出すことは少なくなりました。

 「論点がずれた時点で相手の言っている事すべてが理解不能」という状態は、自分にとってよくないことが多かったからです。

かといって、そんな頻繁にあっちこっちに行く言霊を追いかけたり拾ったりする能力もないので、なんとなく頷いて終わりを待つという方法をとるようにしています。

 それでなんとかなるのが不思議なんですが、、そういうものらしいのです。

時々、論点がずれてることを伝えると、納得して正確に戻してくれる人がいるのですが、そちらの方が珍しいのかもしれません。

そもそも人として器が大きいなと思います。

私の人間性を許すというより、その人自身の納得の度合いによるものなんだろうなとも感じます。

 

私は他人と会話したあと、結構な割合で後悔をするのですが、その理由としては、思ったことを正確に伝えられなかったことだったり、相手の意図するものを汲み取れず見当違いの返答をしてしまったと気づいた時とかです。

そうなると脅迫概念なのか、しばらくは会話自体ができなくなります。

できなくなってくると、億劫になっていきます。

億劫になっていくと、眠くなっていきます。

眠くなっていくと、頭がどんどんバカになっていきます。

 

 

これ以バカになるのは嫌だ!という思いが今の自分を踏みとどまらせます。

(起きれるようになる、という意味です)

 

しばらく怠った会話スキルがすぐに復活するはずもなく、怠った分だけ時間がかかるのですが、どうにかこうにかうんうんと頷けるところまで戻るようにしています。

それで良しとしているのが現状です。

 

でも本当は、「あの時はごめんね」「あの時はありがとう」と言えるような、少し長い時間を繋いでいられる人間関係でありたいと思う人が、何人かいるのです。

そのこと自体が、幸せです。

 

 

 

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。