正論の無力さ
うつ病の人に正論を説いても回復には繋がらず、悪化させる恐れの方が大きい
ということは結構認知されてると思う。
正論を説いてくれる人の言っていることが理解できるので、それを出来ない自分がクズだからもうアレやアレしかないと思ってしまうし、アレしてしまう。
正論を説く人のそれが善意であれ、悪意であれ、今の私は回避できるようになってきたと思う。これは病気を介して知りえた自己防衛策だけど、よくよく考えると「ただの人間関係」なのではないかと思うようになった。
私の周りには「うつ病ではない人」がたくさんいるけれど、うつ病ではないだけで、何かしらある。にんげんだもの。
かなり問題のある人もいる。あくまで私視点だけれど。
ではうつ病の私と何が違うだろう?と無謀なことを考えた。
小さなことはたくさん頭に浮かんだんだけど、一番は睡眠薬を飲まないと寝れないことじゃないかと思った。
「たくさん運動して体が死ぬほど疲れたら寝れるよ!」という正論は何度も頂いたんだけど、「たくさん運動して体が死ぬほど疲れてるのに眠れない日が三日も続いたことがある人」じゃないとわかってもらえない絶望を感じながら私は微笑むしかない。
いまだに
言われることがあって、通り雨のような絶望が降って、虹に変わる。
「私はもうこの正論に振り回されることはない」と頭ごなし。
自分自身に頭ごなし。
一万回くらい考えて悩んで辛かったことに、もしも自分で答えを見つけたなら、それしか信じないと決めたから。
その時一瞬傷つくだけ、でおわりにしてる。
傷つかないっていうのは無理、っていうことも決めてる。
生きてれば傷つくこともある。なまものだもの。超合金じゃないんだもの。
正論は理解してる。
でもそれで人を追い詰めてはいけないことを知った私は、今の自分がすき。
すごいことだ。