雌臭に花束を、クロコには詰襟長袖を
しばらく嫌悪感しか持てなかった事柄がある。
最近はそれをフラットな状態に戻すことができるようになった。
「わたし」と「それ以外の者」を完全に認識できるようになったからだと思う。
「自分の事のようにうれしい」とか「自分の事のようにかなしい」という表現があるけど、私にはその感覚がなかった。
いや、なかったとまではいかないけど、かなり薄めで嘘っぽい感じで在った。
「そうしたほうが良いだろう雰囲気を察する」ことができていたので、喜ぶべきシーンでは共に喜んだり、悲しんだりした。
しかしそれは全く偽物なので、私の中ではうすら寒く、長引く風邪のような気分の悪さがセットだった。
この頃、自分の人生について考えることが増えた。
人生と言うと大規模な感じになってしまうので、正確に表現しようとすると、「毎日一日分の日々の過ごし方」になる。
日々とは連鎖してることなので生活と言ってもいいかもしれない、かな。
(どんどん日本語が変になっていくなぁと自覚はある)
(こんなことなら国語をしっかり勉強すればよかった)
話しを最初に戻すと、嫌悪しか持てなかった事柄について。
「雌臭を意図的に醸し出す」ということ、というかそういう人、に嫌悪感を抱いてしまう。
関わらなければいけない人に限ってなんだけど。
テレビやら雑誌やらはもちろん、赤の他人で通行人Aさんがいくら醸し出してても一切感じない。
傍目で見てる分には「かわいい、きれい」とすら思えてしまう。
でもそれが関わる人間になると真逆になってしまう。
気持ち悪くて吐きそうになっちゃう。
「女性である」という事実を嫌ってるわけじゃない。
「女であるというフェロモンをまき散らす装い」や「死ぬまで女を捨てちゃいけないでしょ類の発言」が、私にとっては害になる。
そういう様子は私の中でこう変換されてしまう。
「セックスしたい強化キャンペーン中」もしくは「アタシとセックスしたいと思わせるお!月間中」
かなり歪んでいる。
でもそれが今の私なんだ。
「もっとこうしたら良くなるよ~モッテモテ☆」という服装やらメイクやらのアドバイスを受けるという最悪な事態が連続したので、こんな心境を綴ることになってしまった。
出さないと胃液が治まらないので、出すなら胃液じゃなくて文章にしようと思った次第です。
そもそも、何がどう良くなるか。それはアドバイスしてくれた人の価値観であり、私にとっては何一つ良くならない事。むしろ良くない事。
実害として私は今作業所に通えない状態になっている。
その会話になるのが嫌で体調が最低なことになってる。
「そういうの、嫌だからやめてください」その一言が言えたら変わるかもしれない。
でもその一言で「良かれ」と思って言ってた人を傷つけてしまうことと、その後の対処を考えるとなかなか言えない。
答えはもう出ているのに、それが実行できるかどうかは別になる。
簡単なことを難しくしてるのは自分だな、と実感する。
まずは、自分がこうありたいと思う自分がある以上(私にとってとても貴重な感情なのです)その一日分の連続でいこうと思います。
黒子的装いと存在を維持。