死ぬまで生きること
日々の生活の中で、死ぬかもしれないという切迫感はなくなっている。
焦燥感のようなものは常につきまとっていて、疲れ切ってしまうことはある。
この身体の状態がフラットな状態であるとは言えない。
もう少し身体が楽になるような生活習慣を継続できたらいいのにな、と欲張ってしまう。
心身ともに調子の良い時に、(無意識に)張り切ってしまうしわ寄せだろうか。
愚かなことに、時々、もう治ったんじゃないかと思う程調子の良い時がある。
それでも、数年前に勝手に断薬をして大変な目にあってからは、薬は欠かさず飲み続けている。もう治ったんじゃないかと思う程調子が良くても、断薬はしないというあたりが矛盾であり賢明だと思う。
過去に、勝手に断薬したのはおそらく1か月間くらいなのだけど、身体に大きな異変(多汗、吐き気嘔吐、めまい、気絶、呼吸困難、意識障害、←これ起きて寝てたんだと思う)が出始め、最終的に一番の恐怖であった「不眠」が出たので通院を再開した。
担当医師にこっぴどく説教されたのを覚えている。
投薬治療再開後、2年間くらいの記憶がほぼない。単調な生活だったので、記憶しておくほどの事ではなかったのかもしれない。
私は自分の年齢を咄嗟に答えられない。
空白の数年があちこちにあって、気づいた時には年齢の情報をリロードするようにしているけど、あちこちにあるので、前回の更新後の状態でいたりする。
だから聞かれたり書かなきゃいけなかったりする時に、瞬時に正しい年齢を答えたり書いたりが苦手だ。
知らないうちにどんどんおばさんになっていく。それに空しさや悲しみは一切ない。私は、自分が死ぬまで生きて、できれば今の状態をキープして生きて、死ねたらいいと思ってる。
その死ぬまでの間、平たんに過ごせたらと思ってる。
(本を読んだり、映画を観たり、音楽を聞いたり、絵を描いたり、して過ごしたい)
それを切に望んでいるのだけど、ソレじゃダメだダメだ!楽しくいこうよ!出会いだ出会いだ!という友人がまた現れた。
もう、
もうだめだ。鬱陶しい。
とてもいい人だけど、もう辛い。
さようなら。