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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

無駄かどうかは自分が決める

ジョジョの奇妙な冒険の登場人物が使う「言葉」で「決め台詞」

無駄無駄無駄

読んだ当時、強烈だったし、今でもその鮮やかさは変わらない。

 

 言われて傷ついた事があるから、頻繁に言われたような気がするだけで、本当はそんなに他人に言われるような言葉ではないよなぁと振り返る。

「それって無駄じゃない?」なんて言葉は、私は他人に言えないからそう思うだけかもしれない。言う人は言うかもしれない。

 だから今書くことは、私の記憶の中だけにある現実には嘘かもしれない出来事。

 

私が何かに熱中していて、それは道具をたくさん使うことで、その道具を散らかしたまま「それ」に没頭していた。

それは何かを作ることで、でもそれは一般的な生活の中で利用価値の全くないもので、万が一それに価値を見出せたとしても、部屋中を道具で散らかしてまで作る価値ではないというもの。

 私にとって、それを作って、出来上がる事よりも、「作る」ということに熱中しているから、(そもそもそれが出来上がっても自分も持て余すし、数日たてば捨てられるようなもの)それが完成して価値を持つなど思ってもいないし、作業が目的なんだということを伝える能力もない。理解を求めるなら、努力した方がいいので、できるだけ頑張ってみるけど、意思疎通を図れたことはない。

私が途中で諦めてしまうからだ。

「それを作って意味あるの?時間の無駄だよ」という言葉の威力で、すでに自分7割は破壊されている。

ヨレヨレの自分が使う言葉では、何も伝えられないのが原因だと思う。

 

そして、そう言われることで「自分は時間を無駄に使っている」と思い始めてしまう。私は作ることをやめてしまうし、作るからには出来上がるものの意味を考えなくてはならないし、出来上がるものに価値を見出さないといけないような気がしてくる。

私はそうして相手の価値観のフィールドに乗って、自分の感覚を無下にする。

 

いつしかそれを全くしなくなって、だいぶ経ってから「アレはもうしないの?」と尋ねられて驚いた。

だって無駄な時間だと教えてくれたのはあなたなのに、どうしてそんなことを言うのだろうか。

私にとって作業が目的だった、ということを、時間を経て理解してくれたのだろうかと思って、なぜそんなことを言うのかを聞いてみた。

するとその人は言った。「あの時は意味も価値もないものを作っていたけど、今度はちゃんと価値のあるものを作ればいいじゃない」って。

 その時に、私は、自分が思うよりも強く、意思を伝えられた。

 私は一度傷ついて、悩んで、相手に寄り添う形で納得した気持ちを、このような形でぶり返されるのが嫌いなんだとわかった瞬間でもあった。

 

無駄かどうかは自分が決める、そう言った。

流れていく時間を、どのように過ごすかは重要だと思う。

「どのように」は千差万別だし、楽しんでいるかどうかは本人にしかわからない時もある。それが他人には有意義ではないように映ることもある。

 

アドバイスはあくまでもアドバイスで、強要や否定ではないのだと知った。

私は自分の責任の下、自分で決めることのできる事すら、他人の意見を優先していたんだとわかった。

だから、私が強く意思表示をしたことで相手が焦燥した表情になるのを見たかったわけじゃないし、よく考えてみると、せっかくアドバイスしてくれた人をそんな表情にさせたくなくて振る舞っていたような気さえする。

それをやめたら、このブログを始めた頃よりも人(数)が去って行った。

つまりはそういうことで、私に対する価値がなくなったんだと思う。

 

あと、、私が嫌な奴になったんだとも思う。

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。