意味は後からついてくる
いろいろなブログを読んで。
関連ブログも読んで思ったこと。
「それをすることに意味はあるか」「意味はないか」
それ¹は、それ²を意味のあるものにするか、意味のなかったものにするか、自身の問題だと思う。
それは意味があるという人には、意味のある世界が(大きくいってしまったけど言い換えれば”社会”が)ある。
それに意味のないと言う人には、意味のない世界が待っている。
必要と考えるか、必要ではないと考えるかで、その先に進める場所が違ってくる。
可能性や確率で言えば、意味のあると思っている人には、意味のある場所に早めに辿りつけるようになっている。
意味のないと思っている人には、意味のない場所には行かないようになっている。
今やっていることが、不必要かどうかは、リアルタイムでわかることは少ない。
目的持ってやっていなければなおさらだと思う。だからだとも思う。
ただ、それに向き合う姿勢を持っていたら、「まさかこんなとこで役に立つとは」ということが人生にはたくさんある。(役に立つ、というメリット例を挙げたけど、役に立つとかではなくて、自己完結の自己満足でもいいのだと思うことがあるとも思う。「あ、これはアレだ!」と気付けて嬉しいとかそういう些細な)
未経験の人生生活では、想像しにくい色々なことがあるから、仕方ないなとも思う。
私はそういう思いをたくさんした。
だから少し勉強した。主にブログ上で。そしてブログ上で奨められてる本で。
そうしたら、数か月前まではスラスラと読めなかった文章が、躓くことなく読めるし、意味が分かるようになってきて、面白いし嬉しい。
そうなると、わからない言葉が出てくると調べたくなってくる。それも楽しい。
なんのためにやってるのか、それがわからないと、確かに滞る。
なんのためにやるのか、自分の関われる世界を1cmでも1mmでも広げるため。
でも在学中には気付きにくい。だって教える人が、支える人が、それ(なんのためにやるのか)を教えることはできないから。みんなへたっぴだし、教えてもらう方は具体例を欲しがるから。
難しい。
私は大人になってから、気付けたことがたくさんあるので良かったです。
「それ¹」と「それ²」の指すものはそれぞれ違う「それ」です。
「それ¹」に関しては「それ」ではなく「それは」まで使用した意味のある言葉です。