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とあるブログを読んで、思ったこと。
自分は他人や社会を否定するが、自分の事は否定してくれるな、という趣旨なのかな?というのが毎回(新しい記事を読んでも古い記事を読んでも)思う感想。
どう読んでも「否定してるなぁ」と感じるのだけど、「否定してるわけではありません」という文言が入ってるから違うのか、、と一旦は思うけど、じゃあ何この未消化な感じ、という印象。
私の中で、その理由ってこれかもしれないと思った時、未消化な部分はすっと流されて、腑に落ちました。
「文章能力が足りてない」
「否定してるわけではない」「誤解しないでほしい」というからには、そうではないという説明が必要だと思う。それができていないから、妙な読後感になるんだと思う。
また、何かの文章や物事を引用する場合は、引用元を理解する必要があって、(「これってどういうこと?」と問いかける様な引用は別)さらにそれを自分の意見や考えと並べたり繋げたりして表現するなら尚の事、正しい理解の元使用した方がいい。
たくさんの価値観があって、選択があって、捉え方があるから、ひとつの何かを理解するということさえ「ひとそれぞれ」になってしまうのかもしれないけど、大まかでいいから「共通の理解」は必要だと思う。
全て個人の感性に丸投げしてしまうと、言葉は無力になってしまう。
自分の経験上ない出来事や思想に遭遇すると、理解しようと考えるのが人だと思う。
考えてもわからないことには不安や恐怖を感じたり、時には放棄してしまう。
考えてわからなかったから諦めた結果が放棄だというのならまだいいと思える。でも、わからなかったのに、わからないから=必要ないと変換してしまうのは危険だと思う。フリーダムフリーダムなんて言ってる場合じゃない。
私は否定してることになるのだろうか。
否定か肯定しかない世界ですと言われたら、否定している。
でも、こんな気持ちになるという記事を書いて、否定してますよ、なんて言いたいわけじゃない。
自分の人生は自分のものだけど、自分の人生を肯定するために他人の人生を否定するような表現をして、否定してませんよなんてずるいし、御自身辛くないですか、って思って。
ああ、そのブログを読んだ私自身の問題かもしれない。