タブー
<これは3月に書いていた物で、文章中##以降が本日書いたものです>
自分の中で、自分にとって、タブーがある。
はっきりと理由があるものもあるし、理由は曖昧だけど本能的に切り捨てるようなものもある。
してはいけないと決めている事だったり(行動制限)
言ってはいけない事と決めている事だったり(言動制限)
思ってはいけないと決めている事だったり(思考制限)
見てはいけないとエトセトラ
これらは、「自分が」「するか、しないか」のこと。
対人に、これらは私にとってはタブーなのでしないでください、とは言わない。
そのかわり少しずつ、あるいはバッサリと切り捨てる。
人づきあいを。
だから一度切り捨てた人と、時を経て再会となっても、私にとっては、他人より他人でしかない。
買い物に行くスーパーのレジの店員さんの方がよっぽど、私にとっては近い存在だ。
私は去年、一人の友人に謝らなければならない事をしてしまった。
謝るつもりでいた。
結果的に言うとそれができなかった。
謝る前に、説教メール(説法に近いなにか)をされて、その内容が、去年1、
腹の立つ出来事となった。そして謝ることをやめてしまった。
それきりで。
偶然会ってもほぼ無視されている状態が続いていた。
それはそうで、私は謝ってないし、説教メールにも返事はしていない。
もしかしたら返事が来ない事で無視してたのかもしれない。
わからないけど。返せる言葉がなかった。いやあった。返すべきではない言葉ならいくらでもあった。
でも、それは、その人を深くえぐる様に傷つけてしまうんじゃと思うと出来なかった。なあなあで済ます言葉にもしたくなかった。私も傷ついたから。
ということでもういいやって思ってたら、先日、不意に会って、笑顔で近づいてきてる。大人だな、、と思った。
私は大人気ないので、にっこりしなかった。
会話もしなかった。
私はどうもダメなのです。
「この人の言ってることは正しいけど、この人が考えた、私の人生設計、私それいらないよ。」
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私はこの件で、社交性のある笑顔の素敵な友人を失った。
友人がいてくれたことで、出来なかったことができるようになったりした。
(でもそれは彼女がいてくれなければ出来ない事でもあった=ひとりではできない)
そして以前断薬を勧めた人物でもあり、断薬しなければ嫌われてしまうとでも思ったのか、、やってしまった。その後2年弱の記憶が曖昧になるという現象が起きてる。
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私はこの件で、正論を正しく認識している友人を失った。
遅かれ、早かれ、こういう風になったと思う。
それならもうちょっと早くしても良かったかな、と思う程、今、快適だ。
1年越しの後悔がひとつある。
「謝らなければならない事実に対しては謝るべきだった」
今さらしないけれど。だから、後悔なのだけれど。