だんしゃりは好きじゃないと思ってたけど
断捨離、その概念を知ったころはどちらかというと好きでした。
片づけられない、散らかった部屋がみるみるうちにスッキリときれいになる。
掃除もしやすい、大切なものを認識しやすい、無駄買いが無くなる。
いいことだらけだなぁ!と思いました。
でも、数か月前から「断捨離」にあまり良い印象はありません。
そして先週、新たに気付きました。断捨離が嫌なんじゃなくて、それを善として勧めてくる他人が嫌、と。
嫌というか、もう怖いの域です。
断捨離が成功し、ミニマリストになりたくてなった知人がいます。その人は元々は片付けが苦手な人で、掃除も苦手な人でした。その人の家にお邪魔したことがありますが、お世辞にも片付いてる部屋とは言えないと思っていました。
でも、寛げる良い空間だと感じていました。
その人自身にとっては、そんな部屋と自分を変えたいと思っていて、成功したのだから、それは革命的で、生まれ変われたくらいの感動と幸せを感じる生活を手に入れられたようです。それは良かったなあと思っていました。
でもしばらく経つと、その人が私の家に来るたびに、私にも断捨離を勧めてくるようになりました。どうやらその人から見れば、我が家には物が溢れている状態に見えるそうです。確かに私の家には無目的な物が多くありますが、それは愛着あって飾っておきたい物なので、絶対に捨てたくはないのです。そう伝えるとその人は言いました。
「写真に収めて思い出データとしたらいいよ」って。
私は??????になりました。全く意味が分からなかった。私は「飾っておきたい」「もの」だと言ってるのに。
解決策があるとしたら、私が掃除をさぼらずに(正しくは出来ない日が続くときがある)掃除出来て片付けが上手になればいいだけではないかと思ったし、そもそも、なんで自分の家の中の事を知人に言われてるんだろう?と思いました。
その会話の時の知人が怖かったんです。なんかのセールスマン並みの押しの強さというか、壺的な勧誘的な、ナチュラルサプリ同盟的な、そんな勢いがあったのです。
私は逃げました。
すると、その知人は、その出来事をきっかけに、私との関係を複合的にその他諸々考えた結果、私を断捨離すると決めたそうです。
その知人は、私のうつも、部屋を片付ければもっと良くなると信じていて(そうかもしれない)それを提案したのに断られ、嫌がられ、私の口から出てくる言葉はネガティブなものばかり。むしろ、ネガティブでいた方が私自身が落ち着くんだよ、と言ったら絶句してました。追い打ちで「ポジティブな人たち怖いよ」と言ってみました。そしたら、「もう付き合いきれませんお達者で」的なメールが来ました。
肩の荷が下りました。
その人との繋がりが全くなくなってしまうのは、正直残念だったのですが、突如湧いて降った需要と供給のバランスが崩れてしまい、こうなったのかな、と思います。
私は大体の事を主観で見ると決めてから、「他人が思うこうあってほしい私」になるために努力するのはやめました。(努力してなれてるかどうかはまた別問題だったんだけど)
自分と他人の境界線をしっかりと引いてから、どんどん人が遠ざかっていきます。
去年あたりから、、そういえば、はてなブログを始めたあたりからだなぁ。
当時常にあった漠然とした不安や不満が、今はない。
自分の感情を文章にすると、自分の無意識を確認できて頭の中が整理整頓されていくような気がします。