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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

自分の頭で考える

貧乏話を美談として語るのは好きじゃない。

夢や目標があり、そのために自分で「今は貧乏」を選んだなら嫌いじゃない。きっと、きらきらして見える。

私は子供の立場だった頃の自分の貧乏体験を基にした価値観。それから学んだ大人になってからの自分の道徳観。

あの頃、厳密にいうと「私」は貧乏ではなかった。私の「親」が貧乏だったのだ。貧乏な親に養育されるという事は、食卓に、どこかの公園の池にいたタニシが食卓に並ぶこともあるのだ。貝だね貝だねと言って捕獲してビニール袋に入れたのかな、覚えていない。母はどんな気持ちだったのだろうと考えてみたりするけど、わからない。もしかしたら母本人もわからないところまでいってたのかもしれない。

なぜなら時はバブル絶頂期、何を始めてもお金は回った時代だった(と私は大人になってから知るわけだけど)のに、私の家ではタニシを食べていた。タニシを食べた翌日に家からテレビが消えた。その代りその日はタニシじゃなく卵焼きが食べる事が出来た。

繰り返しになってしまうけど、戦時中でも戦後間もなくでもない、バブルヒャッハー時です。

 

 

生き抜く力とか、簡単には死なないとか、いうけど。

 それは、大人同士でやってくださいねと思う。子供なら死なないまでも栄養失調でボロボロです。(ついでに服もボロボロだった)(靴は、入学式にはいた可愛いスエードの足首をボタンでパチッと留めるタイプのをとても気に入ってて履いてた)(上下違うジャージに、行事用の靴)こんな状態で、自分がいじめられた記憶がないのは奇跡だと思う。当時の担任の先生のおかげだと思う。私は誰よりも怒られた。先生に怒られた。

自分のことを「ちえ」と名前で呼ばない事、「わたしと言いなさい」と教えてもらった。給食を口を開けて噛まない事、閉じて咀嚼しなさいと教えてくれた。私はその日から自宅の鏡の前で食べて確認するようになった。洗濯は洗濯機じゃなくても出来ることを教えてもらった。それに、洗剤じゃなくて石鹸で洗えるんだという事も教えてもらった。それからボロボロの服はボロボロのままだけど、臭くなることはなかった。もう会えないけど、先生にとても感謝してる。私は小学校でマナーのほとんどを学ばせてもらった。九九の時も、リコーダーの時も、出来るようになるまで放課後教室にいてくれた。あなたはできるから、と最後まで言ってくれた。家では「そんなこともできないのか」と罵られてた自分には信じられなかった。「わたしはできるのか」と初めて知ったみたいな気持ちになって、実際、出来るようになった。するとすごく、とても、とても褒めてくれた。そんなことも初めてだったから、喜び方も知らないのでへへへくらいしか言わなかった気がする。

私はこの頃、自分の頭で考えることが大事だってわかった。

 小学校の時は代っても代っても担任に恵まれた。育ててくれてありがとう、怒ってくれてありがとう、意味や理由を教えてくれてありがとう、褒めてくれてありがとう。

貧乏な家の子供を、人として、見守り、教育してくれてありがとうございました。私は貧乏にならない生活をどうしたらできるか考える大人になりました。

私の貧乏に、子供を巻き込んではいけないと思ってるからです。あと数年経ったら、私は自分で選ぶ方の貧乏になりたいと思います。

 

(手紙タッチになってしまいました)

 

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。