15歳の世界と大人の立ち位置と適度な距離とデリカシー(1)
私は高校受験を、推薦入試で受けた。志望校では筆記試験も実技試験もなく、内申点と中学校長の推薦書(担任のもあったかもしれない)を提示し、面接のみで合否が決まる、それが「推薦入試」だった。
私は中学校の時、比較的休みがちな生徒で、成績だってほぼオール3、今思えば、推薦するにはあまりにも難がある生徒だった。それでも校長先生は校内面接の時に15歳の私と真剣に対峙し、笑顔で応援してくれた。「あなたなら大丈夫」そう言ってくれた。
最初はもう一つランク下の高校を勧めていた担任の先生も、最後は私の進路を応援してくれた。だから私は自信過剰なまでに安心していた。「私は大丈夫なのだ、面接だけで合格して高校に通うのだ」そう思っていた。
でも落ちた。
面接の事は何一つ覚えていない。どうやって行ったのか、どこで何をしたのか、何を聞かれて答えたのか、どうやって帰って来たのか。まるで何も思い出せないまま、一週間後くらいに、自習時間に担任に呼ばれて、誰もいない廊下で、「残念だった。不合格だった。」そう告げられた。担任の先生が、見たこともない顔になっていて、口が震えていて、泣くのを我慢してるのがわかって、私が泣いた。先生が何も言わずに背中をさすってくれたのを思い出せる。きっと泣いていたと思う。
「今日はこれで終わり。月曜日にまたどうしていくか話そう」そう言われて、そうか私はまた選択して挑まなければならないのだ、と気付いた。私は先生に「先生からお母さんに電話で伝えてほしい」とお願いした。私はどこまでもずるくて臆病な子供だった。
「わかったよ、大丈夫」と言って、先生は笑った。
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後日私は同じ高校に一般入試で合格した。なにかしらの考慮もされたのかもしれない。
どういう事であれ、私は頑張った、頑張れたのだ。
中学校の校長先生も、担任の先生も喜んでくれた。8クラスあるすべての担任の先生が私を気遣ってくれたのが子供ながらにわかっていた。一般入試に向けての問題も回答も居残りも全教科の先生が付き合ってくれた。私はこの大人がいたから頑張れたのだ。
私は恵まれていた。それは大人になっても会ってる同級生も言っていた。
高校に入学して、40人クラスの内10人くらいが推薦合格の人だった。なるほどと思う性格の良さと素行の良さだった。でも卒業までに3人が辞めていて、2人が留年していた。私はマジかよと思いつつ何となく卒業した。推薦合格していたら、私も辞めていく方の人間だったかもしれない。
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私の住む地域では「推薦」「単願・専願」「一般」入試があり、推薦と単願は明らかに仕組みが違う。だから、あの報道の情報には違和感しか感じない。学校は何がしたかったのだろう、あるいは何をしたくなかったんだろう、と。地区の違いだろうかとも思ったけれど、そう言えば、私は以前にもこの嫌な違和感を感じたことがあると思い出したので書く。
私の子どもの進路相談の時のこと、担任の先生が事実めちゃくちゃだった。
私の子供は担任を嫌っていて、三者面談の前日、「きっと会話にならないから話したくない」と「憂鬱で仕方ない」と言っていたので、何も話さなくてよいと伝えていた。志望校は調査票に書いて提出していたし、子ども本人、保護者、担任での確認作業だと思っていたからだ。
子どもの希望は「単願入試」だった。彼が自分で調べて悩んで決めた進路で、合否の結果後のスケジュール等もわかっていた。覚悟もあった。学校見学や体験入学に参加し、帰宅したときには顔面蒼白で体調を崩したりしていたけど、そうする、と決めたのだから、私は応援することにした。意思疎通できていますよろしくお願いしますの確認作業が三者面談だと思っていた。
(つづく)