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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

15歳の世界と大人の立ち位置と適度な距離とデリカシー(4*終)

(つづき)

大人でも、頭の中が悩み事で埋め尽くされている時、視野窮鼠になることってある。

解決策があるのに、その解決策が見つかるところまで視野を広げられずに、悶々とする。或いは、その悩み事に解決策などない(だから解決する必要もない)、と気付いて開き直るまでに時間がかかったりする。

そういうことって、話せる人がいて(できればよく聞いてくれる人)打開策が見つかったり、何も解決しなくても、洗いざらい吐き出すことでスッキリしたりする。

スッキリすると、視野が開ける。

大人になると、悩み事が発生した時に、自分がどういう時・事にストレスを感じやすいのか、そのストレスは何をしたら解消されるのか、わかるようになっていく。誰かに話さなくても、冷静さを取り戻せたりする。それは経験値というものかもしれない。

15歳というのはその経験のスタートじゃないだろうか?

自分の過去や自分の子供を見ていて思った。

 

子供を叱る時、怒鳴り散らしわめき散らし、「うるさい!静かにしろ!」と言ってる親のお前が一番うるさい、という場面を見たことがある。中学生の子供に、気に入らないなら出ていけ!ここは俺が働いて稼いだ金でうんたら、と怒り狂ってる親も見たことがある。機嫌が悪いと子供に八つ当たりする親を見たことがある。

常に冷静で、子供と正しく向き合い続ける、それが難しい時ってある。親だって人間だもの。でもそれって、完全に「親の都合」であって、「子供の都合」じゃない。だったら子供だって人間だもの、お互い人間だもの、それに早く気づいた方が傷つくばかりなのはどうしてだろう?

 大人は自分の間違いを認めない、何か問題が起きた時は、誰がどう関わっていようが子供の自分が悪い、大人が言う事は「なんか変だな?」と思っても、そう思う自分が間違っている。

そういう経験を数回経験すれば十分だ。

大人に頼る事もない(できない)、疑問を持ち尋ねたい事もない(できない)、従うのが嫌なら早く大人になるしかない(どう頑張ってもあと数年は無理)無力、無力、無力だなぁ、がテンプレートになる。

子供にとって一番身近に感じる大人は「一緒に住んでいる人(親の場合が多い)」

その次に「通っている学校の先生」、そこに「自分の話を聞いてくれる大人」の「味方」がどれくらいいるか、すごく重要だ。笑いかけてくれる、褒めてくれる、そんな大人の存在が重要なのだ。成長過程で必要なんだ。重箱の隅をつつくような大人は要らない。

変わらなければいけないのは大人の方。変わるための努力をするのは大人の方。時計の針は、大人と子供で速度が違うのだ。時差ボケしたままの大人が、子供の邪魔をして暇つぶしみたいなことをしてはいけない。子供と関わるなら自覚と覚悟が必要だと思う。

今日、ニュースで卒業式の話をする校長が泣きながら何か言っていたけど、あれは「良い卒業式でした」と言ってるようにしか見えなかった。前回の報道の時の話し方も気になっていたけど、「当事者意識」が薄い。きっと今回の件に限らず、色んなことに対してそうなんだろうという印象。気持ちが悪かった。

「命の大切さ、モラルやルール、知識や知恵」などという言葉が並んだ調査報告書も、どの立場でどこ向いて話してるんだよ、と思った。気持ちが悪かった。恐怖にも近い気持ち悪さだった。それは「姿かたちはこんなにも似ているのに、まったく話が通じない生き物」。

子供が亡くなる報道を見ると、学校が、家庭が、友達が、どこが、だれが、となるけど、私は「全部」と思う。原因が局所にあったとして、タイミングが悪く、どこにも誰にも頼れなかった、そんなときに「解決や選択を迫られた」結果、だと思う。

 

予防方法は子供側に強いるべきじゃない。大人が「守り育てる立場」を過剰に自覚する必要があると感じている。

私は病識があり、ひとは思うより簡単にしぬ、と思っている。でも、思うより簡単に救うこともできる、と信じている。(私が知らない人のテキストに救われたように)

しぬこともいきることもひとつのことだと考えるようになったのは最近で、許せない気持ちを、鎮火するおまじないのような思考。

死に至らしめた、生きている人間をゆるすことは死ぬまでないと思うけれど。

 

おわりです。

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。