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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

不誠実な的打ちは致命傷になるかもしれない

不誠実だな、と思った。

私は他人を試したり、煽ったりする人間が嫌いなんだけど、嫌いなのには理由があって、その理由が何かしらそれなりのことがあって自分の中で覆らない限りその感覚は変わらない。おそらくそんな何かしらの事は起きないと思ってる。

 

「たとえば」を上手に使って説明できる人がいる。

AをA2に、BをB2に置き換えて、AやBを知らなくて、結果Cになりますって言われてもわからないことも(ぴんとこないことも)、A2やB2なら知ってて、結果C2になるようなものですと、そのようにたとえ話をしてくれるとわかりやすいなぁって、なるほどなぁって感動する時がある。

そういうことは、日常生活の物事を常に多角的に観察していて、それらがどの年代層にどのように解釈されているのか知っていないと出来ないと思う。観察は出来ても、自分以外の人間がどのように観察対象を認識しているかまで把握するのはなかなかできないし、それを、「たとえば」と話し始める時にすぐに取り出せる記憶の瞬発力って、すごいと思う。

きっと真似をしようとしても、間違いなく間違うから無理な事象についてはしない。私は自分の文章の拙さを自覚していて、それをどうにか成長させようとしている途中だ。

自分以外の人に、自分の考えていることを正しく理解してもらうためには、できるだけの努力はする。正しく理解してもらえた相手からの厳しい返事ならば受け取り、相いれなければそれはそれでいい。「ただしく伝わった」ということが大切なことだと思っている。

 

自分が誠実な人間ではないと気付いた日がある。それは私の軽率な態度がひとを傷つけた時だ。傷つけた後のフォローが雑で、最悪だった。

それ以来、問題が起きた時には出来る限り誠実に丁寧に行動しているつもりだ。

 

自分の子供が、理不尽な誤解の渦に巻き込まれたり、その時に深く傷つくような試され方や、煽られたりされたくないからだ。その逆もそうで、そういう人間に成ってほしくない。そして私自身も過去の過ちを正していかなければ、常に意識していなければ、そういう「ぼろ」みたいなのはすぐに出る。

気を付けようと思う。

 

前記事の「15歳の世界と~」は(1)~(4)まで書こうと決めていた。1記事では終わらないと思ったから。あとがきで(5)を書こうかとも考えたけど、後悔しそうだと思ったからやめていた。でもこれを書いているのだから、これは後悔しない方の(5)にあたる。

誰かの為に生きることを優先しないで、誰かの都合を優先して生きていないで、自分の為だけにすべて自分を優先して生きていればしなずにいられたかもしれない。

可哀想だった。

私はそれを忘れるけど、しぬときに思い出せるように、生活習慣を気を付けながら、生きることにします。

 

 

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。