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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

私に近寄ってくる人より、私が近寄っていった人

類は友を呼ぶ。

先日、過去のことを思い出す機会があって、思い出したはいいけど必要以上に落ち込みました。そして「類は友を呼ぶかぁ」なんてつぶやいていました。(普段独り言は言わないので少し驚きました。自分に)

その落ち込みは日中の間に消化できたのですが、就寝前になって、またどこからともなく「過去」が頭の中で再生されて、その中に出てくる人達に対して怒りが湧いてきました。他人にだけではなく、その当時の自分自身への怒りもありました。

怒りの理由を大雑把にいうと、共依存体質の私を利用して、私から時間やお金を奪っていき、いよいよ財布の底が尽きた私を利用価値なしといわんばかりに去って行ったからです。こういう理由なので「自分自身にも怒りを感じる」のです。

 

過去を思い出して落ちこんで後悔して、涙は出ません。空洞のようなものになって、そこにどうにかこうにか深い眠りを詰め込んでいくような気持ちになります。

そして眠れたら幸せを感じます(起きた時に)

いつもはそんなことの繰り返しだったのですが、先日はちょっと違いました。

過去に関わった人の中には、今でも好きだと思える人がいることに気づきました。

その人たちは、私から仲良くなりたいと思って接していた人達です。その人達は私から何も奪いませんでした。楽しい時間を「共有」して、共有するためにかかった費用は「割り勘」で、時には、贈ってくれた。

ありがとうとごめんねが言えて、些細な喧嘩をしても、解決に向けての話し合いができ、それはとてもフラットな関係で、上も下もなかった。

違う場所で違うことに取り組む互いに、尊敬する気持ちがあった。それは今でも変わらない。

一方で、私が思い出す度落ちこむ原因になる人達は、相手から私に近寄ってきて、私のことを好きだと言っていた人達。(男女問わず)

私は基本的に受け身の人間関係を築いてきていて(自分に好意を持ってくれる人と付き合いやすいと思う人は多いだろう)自分から積極的に仲良くなりたいと思う人に出会うことと、出会った相手から積極的に仲良くされることの違いに気づいていなかった。

私自身が「そんな人間」で見る目がないから、「そういう人」が集まるんだろう、と自虐していた。

付け入る隙があるから、付け入られるんだろう、そんな風に思っていた。

だけど、そうじゃない人達もいたんだ。私を対等に見て接してくれる人も確かにいたんだ。それは私が見つけた人達だ。

今続いてる人間関係も、私から仲良くなりたいと思った人しかいない。

この発見は私にとって、とても重要でした。自分を信じることができるからです。

 

 

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。