「どうして?」の続きはわからない
「わからない」
いきつくところ、そうなる。理由があれば、それなら仕方ないね、と言って見送れるものではないから、わかったようなことは言えない。(わかるような心境になったり、思ったことがあるとしても)
いまだに、口をついて出そうになってしまう気持ちがある。
生涯消えない気持ちだと思う。色や形を変えて、ずっとある気持ち、忘れないで、いかないで、今ここにいてくれたら、笑った?
私の母の死因について、子供には「事故」と伝えている。他、伝えなければいけない関係の他人にも同様事故と伝えている。私の兄弟とも「そういうことにしよう」と約束めいた話をした。
私は、本当の死因を話すことが恥ずかしいのではない。真実を伝えられた他人が「なぜ?」と思う、あるいはそう聞かざるをえない状況が嫌だからだ。遺書はなかった。決定的な理由などわからない。それに、自ら死なない者にとって、自ら死を選択した者の気持ちや理由など、理解できないしする気もないのだ。
「そんなことで」「何もしななくても」「助けてと言えばよかったのに」
そんなこと、をそんなことではないと聞いてあげられただろうか。助けてと言われたら故人が安心にどっぷりと浸れるような救いを提供できただろうか。死ななくても良いというのは生きるべきだと説得することだろうか、できるだろうか。
その説得を受け入れられない状態である自分を責める故人の悲しみや苦しみ、疲労はどれくらいのものだろう。
自らの死を選択したことがない人には、到底想像できない。
想像できない場所にいる、ということに気づいてあげられなかった、残された者の無念も、気づいてはいたけど、どうすることもできなかった者の無念は、故人の生きた証を、いたるところに見つけるようになる。仕草のように、癖のように、生きた証を探してしまう。見つけてしまう。
それは悪いことでも良いことでもない。癖が一つ、増えただけだ。その癖が、鼻につくからやめろという人もいる。気にならない人もいる。気づいても気づかないふりをする人もいる。それだけだ。
忘れないで、そう思う。でも、忘れないことは無理だ。残された者は生きていくから、残された日々を「この日まで」とは知らずに生きていくから、記憶が増えていくから。
忘れていくことに苦しみを感じる人もいる。でも生きていくと、忘れていくのは故人の事だけじゃない。自分の昔のことだって忘れてしまう。沢山の事を忘れて生きていく。そして、思い出すこともできる。
音や匂いが、しっかりと結びつけた記憶がある。それは自分が意識して結びつけたものではないけど、リンクしてずるずると蘇る記憶がある。「その時」が来る。
それまでは忘れててもいいのだと、思うようになったのは最近の事で、そんな自分を責めなくなったのも最近だ。
私は今、匿名でブログに気持ちを吐き出している。この行為全てが自分自身のためだ。
故人を慈しむ気持ちで書いてるわけじゃない。忘れたくなくて書いてるわけじゃない。自分自身の気持ちの整理のためだけに書いている。
ただ、時期を間違えば、呪うような恨みつらみの塊であった頃であれば、その時の矛先は決まっていたので、最低なことをしていたかもしれない。
矛先にいた人物たちは情報弱者だったので、それをいいことに社会的窮地に追い込んだかもしれない。母の死が、世界の隅っこで起きた些細な事実なだけなら、矛先にいた人物の社会的窮地だって、些細な事実にしかならないだろうと考えていた時期があった。
それをしなかったのは、自分の子供との生活があったからだ。呪いに生きる人生は一人じゃないとできないと諦めた。
ということは、私は一人であったなら、呪いに生きたんだなと改めて思う。
賢いか賢くないかで言えば、全然賢くないし、愚か極まりない。私という人間はそういうものだった。
今日の私を作ったのは、単調で平坦な日々を過ごしたいという希望と、そしてその難しさを教えてくれた自分の病気だった。
病気により、体力も意思決定能力もなかった私は、今日まで私を生かした。