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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

読書・紙の動物園

短編集を読んだ。

「紙の動物園」ケン・リュウ

 

今絶対読むべきSF作家 ケン・リュウ「紙の動物園」「もののあはれ」 - あざなえるなわのごとし

 

azanaeruさんが書評していたのを読んで、読んでみたくなったので、数少なくなった近所の書店に行った。スーパーの中にある小さな書店コーナーで、「検索窓口」と書いたレジにいた店員さんに聞いた。

本コーナーを練り歩いてジロジロと背帯を眺め、20分は経ったと思う。

タイトルどころか、出版社別に並んだ本棚からその出版社さえ見つけ出せなかった。

 

私はいつも本を読みたい時、背帯を眺めたり、平積みにされている装丁を見たりして、その日気になったものを…と、かなり適当に選ぶ。そんな風にして本を選んでいるので、どこに何があるのか考えて見つけるのが苦手だ。(昔はすぐに見つけられたのに)

「検索窓口」と書いたレジがなかったら、きっと買わずに帰った。検索窓口は必要だ、そう思った。検索窓口の店員さんは話すより早く検索し見つけて持ってきてくれた。

ありがとうございました。表情には出せませんでしたが、とても嬉しかったです。

 

買った本をその日のうちに読み始めることもあれば、数か月放置しておく時もある。

今日は前者だった。

 

読後、私は物語に対してやるせない気持ちと、自分に対して悔しい気持ちになった。

物語はどれも私に突き付けた。何かを、多くの何かを突き付けた。どうしよう、、そんな風に思った。そして、どうしようもない、大丈夫だ、これは、物語だ、大丈夫だ、そう言い聞かせた。そして、物語だろうか、、?とも思った。

短編集なので、ひとつひとつ呼吸ができたけど、この短編のどれかひとつでもこの一冊分のボリュームの作品だったとしたら、私は読み終えることができただろうか、そう思った。これらの物語を読むには、私はあまりにも無知だった。それが悔しい気持ちの正体だ。

この本を読む前に、私はもっとたくさんの違う本を読まなければならない、そしてまたこの物語を読みなおさなくてはならない、そう思った。

著者近影を見ると、自分とそう歳の差がない人物がいた。私は自分が恥ずかしかった。

才能の有無ではなく、この歳まで生きていて、私は知らないことが多すぎる。

知るチャンスがたくさんあったのに、知ろうとしなかった(興味がないと開き直ってさえいた)けど、おそらく、この歳になってやっと、知っても感情に押しつぶされて伏せることない大きさになったのだとも思う。

10年前の自分ではきっと最後まで読めなかった。それほど私は無知であらゆるドキュメント性に弱かった。

 

読んでよかった。また、読む。

 

_余談_

中国語で読めたら、もっと意味が分かるのに、英語で書かれた物なら英語が読めたらもっと意味が分かるのに、日本語に直した瞬間から全部の意味合いがちぐはぐになる箇所が悔しかった。他国の文化を知っていれば、もっとすんなりと理解できるのに、どこが面白いところでどこか深刻なところなのか、説明を必要としなくていいのに。

私は日本で生まれてずっと日本で過ごして、日本人とばかり接している。

私の暮らしはそう成り立ってしまっている。

他の国の歴史どころか、自分の国の歴史も知らない。何が起こっていたのか、全然知らない。学校の社会の先生は好きだったけれど、私が学んだアレは、本当に日本の歴史だったろうか。世界史を学んだけど、あれは出来事でしかなかった。

私たちは随分前から関わりがあったはずなのに、どうしてこんなに知ることが難しかったんだろう。私の不勉強のせいだけだろうか。不甲斐なくて、少し落ち込んでいる。

 

中学生の頃、シンガポールから来ていた大人の女性と話したことがある。友人家族の友人だった。

とても日本語が上手なその人に、英語の宿題を手伝ってもらうために何人かで友人宅に集まった。そして結果から言うと、英語の宿題は1問もできなかった。彼女は問題を読むなり、「意味が分からないよ」と言った。中学生の頃の私は、「なんで?」と思った。質問をする英文があって、それに英語で答えよ、というものだった。

「何を聞いてるのかさっぱりわからないよ」彼女は言う。

例えば「あなたの好きな本とその好きな理由を教えてください」みたいな質問文だったとして、彼女は「だったらタイトルと理由を言えばいいじゃない」と言う。

「Gakumonn no susume,verry good」でいいじゃない、と言っていた。

しかし私たちに課せられた答え方は、「正しい文法を用いての英文での答えであり、理由もそれっぽい何かを述べなければならない」だった。

彼女は「本当に、意味が、わからない」と言った。そして「ごめんね、役に立てないみたい」と言って笑った。

そんな出来事を、今回本を読んで思い出した。

私たち(友人含め)は、他国の文化を知らなかった。今は、なぜだったのかわかった気がする。きっと、日本の学習方法は、彼女にはとても不思議で無意味に映ったんだと思う。それよりお話ししよう、と言って、おいしい知らないお茶を出してくれた。

そしてそれきりの繋がりでは確かめようがないけど、私は結局、彼女が何人だったのか、知らないままでいる。

 

 

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。