言葉にしないと伝わらないのは知っていたけど
私が何も言わないと、私は「何も考えていない人」として扱われるということを知った。知っていたと思ってたけど、改めて知った。
私が何をどのように考えているか、言うべき人には言っている。
誰に言うかは私が決めている。だけど、「相手」がそれを知っているとは限らない。
言うつもりのない相手に、私はあなたに私の考えを言うつもりはないです、という前提を伝えてないからだ。
かといって、無条件に人の考えを知ることができる、相手は必ず言う、という前提を持っている人と話すことに気味の悪さを感じた。
どうしてこの人は、自分が他人の考えを知りうることが可能だ、と思い込んでいるのか?どうして他人が「本音」を話してくれると信じて疑わないのか?
今まで何度も目にして耳にした、わたしにとってどうでもいいこと、を
10年分くらい投げつけられて、私はそれに何も応えなかったけど、答えなかったということは、何もない、異論はない、ということではなく、あなたに言うことは何もない、という意味もあったりする。
私が日常にある安堵を、幸せと感じるようになったこと、それが時々贅沢にすら感じること、できればこれ以上を望まず、これ以下も望まず、このままの状態を望んでいること(それを叶えていくのは私にとって決して簡単なことではない)、それを理解するつもりがない人に、「今のままではいけない」と「もっと、もっと”これ以上”を目指さないと駄目だ」と言われても、絶句である。
100円のハンバーガー食べたいと言っているのに、洒落オツな2000円くらいのハンバーガーを食べないと幸せになれないよ!と言われてる気分。
そんなわけねーだろ。
毒だなぁ