傍観者の内心でしかない
悲しい事がたくさんあった。
そのほとんどがこの画面の向こう側で起きていることで、私の私生活の表面的なものは何も起きていなかったように見える。
だけど実際にこの世界で起きていることで、私のこの場所から、地続きで現実の出来事だった。実感のないまま、世界は回る。私がいるこの場所も、画面の向こう側も、どちらも変わらず世界の一部だ。
自分が無力を感じすぎると、無力の力に覆い尽くされて、奪われて、強靭な無力に同化してしまう。
だから私は無力を感じないようにしている。意識的に感じないようにしている。
数年のメタ認知を経て、できるようになってきている。
私の日々や努力をないがしろにしてきた人物を張り倒すくらいのことなら、今は容易い。
私の思いや人情に付け込んで、搾取し続けた「常識人」の戯言は素手で掴んで潰せる。
それくらいには力を取り戻した。
正しさなんてわからない。私は正しい事をするためだけに生きて無い。
生まれたから死ぬまで生きてみる。その間に、良いことも悪いことも起きる。
自分でどうにかできることもあるし、できないこともある。多分、悪い事のほとんどが、自分にどうにかできることじゃないと思ってる。
悪いことだらけの悲しいだけの人生を送りたいと望んでる人なんて、稀有だ。
もしかしたら間違ったのかもしれない、もしかしたら努力しなかったのかもしれない、怠ったのかもしれない、フォローしなかったのかもしれない、頼れる人がいなかっただけかもしれない、知らなかったのかもしれない、信じていたのかもしれない、裏切られたのかもしれない、能力がなかったのかもしれない、かもしれないがいくらでも湧き出るほどに、理由なんて後からいくつも生まれる。
だからといって、私は悪いことだらけの人生は嫌だ。
嫌な事、悪い事、悲しい事が起きた時に、「それには意味や理由があるんだよ」みたいに、良いことに考えるよう捻じ曲げた解釈をするのはもっと嫌だ。死にたくなるくらい嫌だ。
だから、私は強くならなきゃいけない。自分だけの為に、自分だけがわかる分だけ、強くならなきゃいけない。
嫌なこと、悪いこと、悲しいことが起きた時に、それをそのまま受け入れて、怒ったり泣いたりできるように、自分の感情をねじ伏せて笑う事がないように、無力にはならない。
私はHagexさんが好きだった。