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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

言葉を綴るということ、思いを文字にするということ、嘘をつくということ

先日、私が好きなブログで書かれていたことにうんうんと共感を感じて、それについて自分も書いてみようと思いました。

本題を描くまでにだいぶ時間が必要だと思いました。

 

1・ 前提(2018/12/20)

 まずは、私の今現在の前提をメモのように書いていこうと思います。

私はこのはてなブログというサービスに出会ってから、たぶん、頭が働くようになりました。知識も、以前とは比べ物にならないほどに増えました。(以前がひど過ぎたこともあります笑)

そして、たくさんの人の文章を読むことで、感動したり(以前は無感動状態が長かった)感情のコントロールや思考の舵取りみたいなものを学ぶことが出来ました。

毎日決まった20程のブログを拝読しています。(更新が無いとさみしいです)

その中にhagexさんのブログも含まれていました。今でもずっとさみしいです。

それからランダムに気になったブログを拝読します。

時事的なものだったり、知識のまとめ的なものだったり、生活の知恵的なものだったり、小説のようなものだったり、です。

読んで、自分の中に浸透してくるような感覚になります。

時々ですが、読んでいて涙が止まらない文章に出会うことがあります。

私はそうして、知らない人の書く文章を読むことで、感情を動かしたり、自分が変わっていく実感を得たりしています。

不思議な体験をしていると思います。

かちこちに固まっていた石みたいな自分が、どんどん変わっていく、知らない人の文章を読むことで、それだけで、変わっていく。しかも自分でも知らなかった自分の望んだ方へ変化していく。多分それは成長と呼んでいいと思う。

そして私も文章を書く。

考えた事や、不安や悩み、嬉しかったこと、腹が立ったこと、本当はこう思ってるってこと、過去の事や今の事を書いていく。

少しずつ嘘を混ぜながら書いていく。

嘘をつくのは格好よく見せたいとかではなくて、身バレを恐れてフェイクを入れるから、辻褄を合わせるために嘘を作らなくてはならない。

それに罪悪感などないし、感じる必要もないと考えている。

だから全部さらけ出せ!顔出ししろ!というタイプのブロガーの方々の文章には興味がない。

読みたいジャンルの本が全く違って、注目の本棚が違うんだと思う。

 

ブログに文章を綴って「公開」するということは、私の中では「カラオケに行く」に似ていて、溜まりに溜まった自分の中の森羅万象を開放すべく、書かずにはいられない。

簡単に言うとストレス発散であり、書いた後は思考の整理にもなる。

私にとっての前提はこんな感じです。

 

 

2・(1)自分の弱さと傲慢さ・他人の弱さと傲慢さ(2018/12/29)

 私はうつ病という病気になるまで、自分は他人より劣っている、という劣等感がありました。(振り返ると、劣等感の原因の多くは金銭で解決できるもので、逆に言うと金銭が無い限り解決できないものばかりでした)友人たちとどんなに足並みを揃えようとしても、「ふり」をしている自分がいて、それを誰よりも自分がわかっていました。元々ある劣等感にそれが加わり、劣等感は膨張を続けました。

でも、劣等感を他人に見せて生活することは出来ませんでした。膨張する劣等感を隠す為にそれと同じくらいの傲慢さを持ちました。

そして傲慢さを武器に、私はありとあらゆる方法で金銭を獲得していきました。

生きました。

「まっとうに」生きられている同年代の友人たちとと同じような生活をするために、当時の私は工夫をしていたつもりですが、その工夫が、その後の自分をないがしろにするという考えはありませんでした。

獲得したはずの金銭は、ごみくずみたいな人間たちに奪われていきました。ごみくずみたいな人間たちは優しい顔と声をしていました。とても。

劣等感を持って生きると、ごみくずみたいな人間が嗅ぎ分けて近寄ってきます。

私が武器にした傲慢さは偽物なのですぐに見抜かれます。

生まれながらのセレブと、成金では、立ち振る舞いや思考が違う、みたいな感じだと思います。

日々の生活で、私より豊かな生活をしている人たちが、私に無心してくる。

その頃の私自身の「お金の使い方」も変でした。何もかもが変なのでうまく言えませんが、安い食材を売っているスーパーに行くためにタクシーに乗る、みたいな感じでしょうか、うん、これ、すごく変ですよね。良い例え。

でもそんな生活回らなくなる。ちゃんと、回らなくなる。だから私の生活はちゃんと壊れました。工夫することができなくなって、壊れました。

うつ病になって、私は武器を手離し無力になりました。久しぶりに見た劣等感はびっくりするくらいに膨張していました。 うつになってたので寝るか泣くか以外リアクションはなかったけど。無、無、無。

うつになって、ごみくず達が離れていって、友人たちも離れていって、私の人生が始まりました。

投薬治療しながら、インターネットを眺めていました。

そして自分のありとあらゆる認知の歪みに気づき始めました。

自然と、劣等感と共に生きると思える日が来ました。私は自覚ないまま大人になっていたので、気づかなかったのですが、うつになる随分前から、友人たちと足並みを揃える必要がなくなっていたのです。みんなそれぞれの新しい生活に突入していた時期でした。

誰も、自分の生活を犠牲にして、友人にお金を貸したり、深夜に突然遊びに来た友人を相手にしてませんでした。私だけでした。

うつになってから、たくさん時間が生まれました。無限を感じました。

金銭も時間も奪ってゆく人間がいなくなったので、私はインターネットの海を泳ぎました。そこでたくさんの知恵を得ました。知らない人の経験を見ました。

そして自分が持っていた傲慢さと同じくらい、他人も傲慢さを持っていることを知りました。それを静観出来ることも知りました。

私の持っていた弱さと同じくらい、他人も弱さを持っていることを知りました。自分が思っていたよりも多くの人が持っていました。それを私生活では出さないように(ばれないように)している人もいました。他人の弱さを認めない人がいることも確認できました。あの時のごみくずみたいだなぁと思いながら静観していました。

いろいろな人がいる、ということを

インターネットを通してやっと、リアリティをもってわかった

いつ、というはっきりした時期は曖昧ですが、そのリアリティは現実世界の私の生活にリンクするようになりました。

実際に「いろいろなひと」がたくさんいることに気づきました。

いろいろな人と深く関わることはそうそうないのですが、些細なやりとりで、深く関わっていない人を、この人きっとあのごみくずみたいな人間なんだろうなぁと感じるようになってきました。そして以後きっぱり関わらないようにしました。

逆もあります。深く関わってないのに、年に数回しかやりとりしないのに(なんならやりとりと言えるのかとさえ)、その人が生きているという事実だけで安堵する存在も現れました。大切にしていきたいです。具体的には何もしない(できない)んですが、ずっと繋がっていたい気持ちを大切にしたい。

私は、私を他人と認識して、上にも下にも置かず、横に居ることを当然としてくれる人を大切にしていきたい。姿も声も色も違う私とYOUを、違うまま横に居られる、同じ色になっていかなくていい、対等なそれぞれとして存在していける人をあいしている。

そこまで導いてくれたのはインターネット。インターネットありがとう。

あのごみくずみたいな人間に負けず劣らずの、ごみくずみたいな人間だった私を、目にも入っていない無視みたいな感じで入口を開けていてくれてありがとう。まあ確かに海はそこにあるだけだし、入ろうが入るまいが海にとっては知ったこっちゃないわけです。なに擬人化してんだよ きもエモすぎる。

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また後日追記します。

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。