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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

ACの私は継続する能力が異常に低い

アダルトチルドレンは「こういう過去を送ってきた大人です!」と一言では言えない。

幼少期の生活環境は、その家々でいろいろ、、

扉を開けたら何があるのかなんて、当時子供だった自分たちにわかってるわけないし。

それが普通だと思って過ごしてきたはずです。

 

我が家は

無職アル中放浪癖怒鳴り癖のある毒親である父親と

父親が大好きなメンヘラな母親が

かいがいしく家事をする暇もなく父親の代わりに

奥様に便利な某せいkyのお届けサービスの仕事をしていた。

ロゴの入った軽トラでせっせこせっせこ配達してました。

 

学校から帰宅した子供(わたしたち兄弟)は散らかった部屋で本を読んだり

飽きて外に遊びに行ったり、寒くなって帰ったり、散らかってたり、、、

ご飯はー

 

ご飯、何を食べていたのか思い出せない。

用意してくれてたのか、自分で作ったのか、思い出せない。

何食べて生きてきたんだろう?

あ、給食かな、、

 

  そんなある日、ずっと欲しかったCDプレイヤーを父親がくれた。

  かなり大きなコンポで、三枚CD入れられるシルバーのカッコウいいやつ。

  嬉しくって、朝の目覚ましにセットして、マイラバで目覚めたのは幸せだった。

 

二日後、そのコンポはなくなっていて、ついでに入れっぱなしだったCDもなくて。

「どうしてないの?」と聞いたら、「売ったから」と言われました。

「CD入ってたからそれだけは返してほしい」と食い下がると、

 「そのCDは誰が買ってあげたものなの?」と言われ、お話は終わり。

 

私の部屋に姿を現したスーパーコンポは2日後にいなくなった。持ってたCDもいなくなった。

そうして私は、諦めることに慣れて行った。

好きな物や大切なもの、うれしいもの、全部、父親の懐次第で与えられ、回収される。もう何かもらっても嬉しいという感情にはならないようになってた。

何か贈り物を私宛に頂いても「自分のものじゃないみたい」という気持ちでいた。

 

与えられたものが無くならず(回収されず)そこにあってくれたなら、

継続できただろうか、と今考える。

キーボードも、プリプリのダイアモンドを両手で弾けるようになった次の日には無くなってた。無くなってなかったら、別れの曲も弾いてみたかったし、ラピュタの曲も、、

どうして自分には継続力がないんだろうって思ってたけど、案外、トラウマになってただけなんだな。

もう回収される心配はないから、やりたいことは出来るようになるよ、と

今夜教えてあげようと思います。 わたしに。

、、そもそもやりたいことなんだろう?

考えてみよう。楽しみ。

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。