勉強なんかできなくてもいいなんて言っては
いけないとつくづく思う。
私は「勉強なんかできなくてもいい」と言われて大人になった。
驚くことに、周りにいた大人全員に言われていた。
誰も本当の事を言わなかった。
「勉強しないとバカになる」ということ。
義務教育を塾に通わず終えて、その間習い事もせず、自宅学習(最低限の予習復習すら)もせず、挙句には友人の学習時間を邪魔してまで遊ぼうとしていた。
「勉強なんか大人になって何の役に立つんだよ」と本気で思っていた。
周りにいた大人もそう言っていた。
今、私が私の親になれたとして言いたいことはひとつ。
「勉強しろ」
「今のお前の周りにいる大人は全員バカだから」
ふたつだった。
勉強をしないと、知識不足に困る場面が増える。
問題を解決する力が乏しくなり、解決しなくていい方向を選ぶようになる。
言い訳ばかりするようになる(頭が悪いので言い訳もバカ)
言い訳の材料になるのか、他人を否定することが増える。
なんか他にもたくさんあるけど、言語化できない。
これは勉強をしてこなくて困った方の理由だから、「できるといい」という体感があればした方がいい理由として増えると思う。
私の場合、自分の勉強に対する素質(資質?)もさることながら、家庭環境も原因だろうな。
誰か一人でいいから、私の学習能力(テストで高得点をとるような力ではなくて、学習する意欲に近いもの)を育ててくれる大人がいたらよかったなと思う。
学びたいという気持ちに遅すぎることはないよ、というフレーズを見かけたことがあるけど、確かにそうなんだけど、あの驚異的な吸収力のある脳の時に、、と思ってしまう。
電話番号を30件以上、なんの苦もなく暗記できてた頃の脳。
20年前に戻って自分にビンタしたい。
でも20年前の自分は今よりバカだから、ビンタしたら目の色変えて「あたしの個性ー!あたしのそんざいいぎー!(ひらがな)」とか言って飛び出してすぐ帰ってきそう。
やっぱり暴力じゃ何も解決できない。
恐怖心からじゃ学べない。
小学5年生の頃、授業でそろばんをチラッとやった時、貰ったそろばんが嬉しくて、家でそろばんをゴロゴロ転がして遊んでたら、知らない男の人に二桁+二桁くらいの問題出されて、数字をおくことすらできなかった。
そしたら「こんな問題も出来ないのか!」と頭を殴られた。
出来るわけがない。その日配布されたばかりの、初めて触ったそろばんで何が出来よう。
教わったことがなくても、それくらい常識だと言わんばかりに知らない男の人は怒り狂った。
知らない男の人は、よく見たら父親だった。
私はこの頃、父親の顔を認識するのに時間がかかっていた。
「顔」を認識してなかったかもしれない。状況や言動や周囲の反応という情報から、「きっとこの人は私のお父さんだ」と判断してたのかも。
異常事態。
その異常事態は、誰にも気づかず、誰も問題にせず、私は大人になった。
だから私はいまだに、「雰囲気」みたいなもので「感じて」、「父親に似てる人」を見つけては嫌な気持ちになっている。
学習能力は生きていく上で自分の強い味方になる。
そもそも、義務教育中に受ける教科書の内容がすべて理解できていれば、いいかもしれないと思う。
教科すべてで、どこを出されても100点取れるくらいの努力、理解、展開。
国語は特にできた方がいいと感じる。私の文章を読み返すと本当にそう思う。(句読点や改行、文章の構成、今自分が気付けてない何か諸々)
数学だって英語だって、国語能力が低いと共倒れする。
国語能力が低い私みたいな人間にかぎって、気に入った言葉を何度も使いまわす。
その言葉の本当の意味も知ろうとせず、自分の気に入った時の解釈のまま。
たくさん知りたいことがある。だからまずは本を読もうと思う。
学校行ってみたいとか言ってる場合じゃない。
今日この記事を書いてて自覚した。
(恥ずかしくて目頭が熱い、、)