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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

カテゴライズが苦手であり好きじゃない理由がわかった気がした

自分のブログのカテゴリーについて、どうにかした方がいいんじゃないかと考えたことがある。何度も変えたり増やしたり減らしたりもした。

今日もそんなことを考えながらこの記事を書いてる。

 

ACと表記してあると、アダルトチルドレンを知らない人が見たら広告のことかと思ってしまうのではないか、など。

でも変えないのは、知らない人は知らないままでいい、と思う気持ちが働いているから。

たぶん。

うつでありながら鬱のカテゴリーがないのは、鬱とひとまとめにしてはいけないんじゃないか、と思う気持ちが働いてるから。

ACであっても、うつ病であっても、個々違うから、私のケースが誰かを傷つけるかもしれない、怒らせるかもしれない、そう思うと踏み切れない。

個々違うというのは、(後天性のものに限ってのことで)細心の注意を払ってるから。

どんな病気であっても、軽度か重症か、辛さの程度や感じ方、対処の仕方が個人によって違うから。

病気の前に、その人があり(私があり)だから。

 

時々、うつ病の人のブログを見るけど、本当に千差万別だと思う。

辛いことを辛いと吐き出す人もいれば、辛いけど頑張りますという人もいれば、どちらでもない人もいる。

私は辛いことを辛いと吐き出すブログの方が好きで。

(自宅で静養していたり、治療しながら働いてたり、入退院を繰り返してたり、どんな環境の人でも)

ブログで辛いことを書く理由がわかるから。

特にアダルトチルドレンで、大人になってからうつ病を発症してしまった人が、ブログに詳細を書く理由はわかるから。

 

共感するという表現がある。

アダルトチルドレンはそれに憧れると思う。共感することがないから。でも共感してみたいから。歌や本の中、映画の中ではなく、(築いた)人間関係の中でしてみたいから。

そして静かに絶望する。(一般的なイメージではなく、漢字のままの意味)

アダルトチルドレンができるのは共鳴くらいだ。

人間以外の生物的なものであったり、この世界で起こる現象的な、事象的なものでしかない。

それを知っているから絶望する。「感じる」ことであり「考える」ことではないと知っているから。唯一感じることができるのは絶望だろうと思う。でも、おそらく、咄嗟に考える。

ああ、これが絶望ってやつか、なるほどと。

 

アダルトチルドレンの根は深い。大人になる前に、他人で構わない。良質な大人との出会いに恵まれていたら、きっと劇的に違っただろう。誰が構うだろうか。周りの大人たちは気付いている。あの家の人(親)はおかしい。関わらないようにしよう。

そうしてしまうだろう。

チャンスはある。高校生まで生き延びれたらバイトが出来る。人間関係が広がる。(バイトが出来る環境で、バイト代を親に巻き上げられるようなことがなければ)

ちなみにアダルトチルドレンが生き延びたことをサバイバーと呼んだりもする。

そこで新しい価値観に出会える。私はそうだった。

 でも、今の私は過去の自分に違う選択をしてほしいと思う。第一に勉強で、第二に狭い世界を見渡せる限り見渡して、探すのだ。

「尊敬できる大人」を。

それが子供の目から見た幻でもいい。その時、全力で憧れる、生身の、人間の、身近な大人を見つけてほしい。頑張れ私!

 

妄想が得意なので(アレがこうだったら、コレがああだったら等)タイムワープしてしまいました。

それは叶わず、今こうしています。この時代になって色々と知る機会が増えた事が救いかもしれません。私は屈辱を避けることもできるし、都合のいい意見を言うことも出来ます。全力で生きています。

アダルトチルドレンであっても、うつ病でも、年上でも年下でも、同性であっても異性であっても、なんでもかんでも、同じだからわかりあえるなんてのは無理だと思ってる。

むしろカテゴライズしたら同じ場所にいるはずなのに、敵対してしまうことだってある。最近これは嫌だなって避けたのは、うつ病を克服した!と言い切った人。(よかったね、と思った)

アダルトチルドレンだったけど断ち切ったよ!と言い切った人。(何を?と思った)

 希望を捨てないで!とshall weした人。

(捨ててないけど、と思ったけど言わなかった)

 楽しもうよ!とshall weする人。

(楽しんでます、と思ったけど

 

そんな風に考えて、ちょっと悲しくなったけど(ふりかもしれない)認知が進みました。自分の好きなものは自分が選べるってわかったから。

 

 

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。