backNumberlock

大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

自殺する勇気があるなら、

先日、友人がこんなことを言った。

「自殺する勇気があるんだったら、なんでもできたんじゃないか」

(死ぬくらいなら何をしても生きることができるという意味らしい)

 

どうして自殺の話になったのかを簡単に言うと、友人の近親者で自殺で亡くなった方がいて、ということから。

死に至った理由を聞くことになるんだけど、今の私にはわかりやすいシンプルなものだった。でも友人にはわからないことだらけだった。

わからないことだけではなく、わからないよね、という同意を私に求めたかったんだと思う。口調からの憶測でしかないけど。

 

亡くなった方は家族のある父親で、うつ病になり、仕事を休職し2年ほど静養していた。

うつ病の状態が良くなったということで、同じ畑の職種に復帰することができた。

その間も治療は続けていた。

復帰して間もなく自殺した。

 変な言い回しになるけど、これはよく聞く話だと思ってる。私は。

 

でも、友人に言わせると、死ぬくらいならまた休めばいいのに、ということだ。

その通りだと思う。

 死にたくなるくらい苦しいとわかる状態なら、その苦しさから逃れればいい。

 それができないからそうなるのだということは、その経緯に至った本人にしか知りえない。私は本当に珍しく、友人の話をぶった切って言ってしまった。

 自殺は勇気出してするんじゃない、失意、だと思うよ

 

へえ?という顔をしていた。友人は私がうつ病なのを知っているけど、私がそういう状態になったことを知らない。慌てて私は語気を柔らかくした。

私は、そういうもんかねぇという友人の話の聞き手に戻ったが、さらに聞き捨てならぬ話になった。

 亡くなった方の生命保険が嫁に入った。

 他にたくさんあったんだけど、今、キーボードを叩いてて本当に嫌になったので消してしまった。上記の事だけにする。

 当たり前のことじゃないですか。と私は思うのだけど、友人親族にしてみたら違うらしい。そこにはそこの暗黙のルールみたいのがあるのかな、怖い、と思った。

 

 私は上記(他)の友人の発した言葉から、自死遺族に対する闇を見た。

 親族ですら(親族だから?)こうだ。他人からしたらもっとあるんだろう。

やれああだこうだ、正論アドバイスが事後降りかかる。最悪だ。

 

最悪すぎてフラッシュバックする。たくさんのことがフラッシュバックする。

今、目の前にいるのは私の友人だろうか?悪魔だろうか?死神だろうか?コメディアンだろうか?誰だったけ、他にもこういう人がいて、私はその人と距離をとった。

 

別の友人だ。正確には元友人だ。

私の母が死んだ2か月後、ふさぎ込む私に、心配した彼女は言った。

 よかったじゃない、ちえの悩みがひとつ減ったんだよ!

満面の笑顔で励ましてくれた。3か月後、もう一人の友人はこう言った。

 いつまでも死んだ人のこと引きずってちゃダメだよ!外の空気を吸って、明るく生きて行こう!

物凄い笑顔で自家用車をフル稼働して嫌がる私を外に連れ出してくれた。

 

 この二人の友人とはもう友人ではない関係になっている。赤の他人よりも遠いところにいる。もう二度と関わらないと決めている。

ポジティブ教の人たちは「正」或いは「明」と書いた斧を笑顔で何回も振り下ろす。

その当時は「優しさなんだ」と言い聞かせていたけど、何度も、なんでも、ポジティブに考えよう!という彼女たちに恐怖を感じたので、離れた。

 

今回の話の友人には、別に私の母親のことで何か言われたわけじゃない。

あくまでもその友人の近親者の方の話し。

でも、言われたのも同じと思えてならない。

私の周りにはポジティブな人が多い。それは私が築いてきた人間関係。私もそういう人だったから。でももう戻れない。

 

また友人が一人消える。

全然残念じゃない。それが少しかなしい。

 

 

 

 

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。