遺品整理の為にシュレッダーを購入した
母が亡くなった後、私の心境とは全く別にやらなくてはいけないことがありました。
遺品整理です。
住居が別だったので、一人暮らしの人間の所有物すべて、ということになります。
とても膨大な量でした。
私の母は、いわゆる捨てられない人で、それでも彼女なりの整理整頓は心がけていたのだと思います。ちなみに、母の兄弟(私の叔父叔母)が他に3人いるのですが、もれなく全員捨てられない人、貯め込む人、片づけられない人です。
そして祖母もそうでした。
祖父は私が物心ついたころには入院していて、祖父がどういう生活スタイルの人だったのかは知りません。
母の遺品整理は、素早く終わらせないといけなかったのですが、私一人がどう頑張っても無理でした。頑張りようがない。
この時、たくさんの人が手伝ってくれました。主に母の友人です。そして私の兄弟。
母の友人がトラックを出してくれて、(本当の引っ越し業者みたいな大きなトラックだった)遠方に行き、荷物を積みいれ、その足で私の家まで運んでくれました。
兄弟は現場で選別をして積み入れを手伝い、現地解散で交通機関で帰宅してきました。
家財は全部、現場で処分ということを皆で決めていました。その旨を現場を取り仕切る人にも伝えていて了承を得ていました。
私は私で、迎え入れる準備をする必要があったので忙しかった記憶があります。
(荷物を入れる場所を確保する)
運び入れられた荷物の中で最も多かったのが、「書類」です。
驚愕の量でした。驚愕過ぎて具体的な量を思い出せません。
書類の内容としては、役所関係の個人情報系、光熱費などの領収書、何のコピーなのかわからないプリント、母の過去全てだろう給与明細、手紙、等です。
一番びっくりしたのが、私の学生時代の学校からのプリントの束でした。
(学生時代の私が何らかの業績でプリントで紹介されたとか、そういうものでは一切ない)
私はこれを見た時、母がこういう人だったんだと初めて知りました。
物を異常に大事にする人だと思ってたのは間違いで、捨てられない人だったということです。
様々な書類の中で、個人情報を含まないものはそのまま捨て、個人情報があるものはハサミで切っていました。
確か5日目で「これはもうダメだ」と思い、2500円くらいの小さなシュレッダーを買いました。
CDもシュレッダー出来る!という売り文句のシュレッダーは使用2日目で動きが鈍くなりました。
それでもシュレッダーのおかげで、だいぶ効率が上がり、自分で切るよりも細かくなって良かったです。翌月の電気代が1000円位高くなりました。
母の遺した書類をシュレッダーにかけながら、私は、母の歴史を考えていました。
彼女の価値観や、名誉、誇り。
書類の中に、モノクロの写真と赤茶けた写真が混ざっていて、小さい頃の私が祖父に抱かれている写真と、母と父でのツーショット写真。ツーショット写真はベタに父の所だけ切られていて、ベタにセロハンテープで再生されていました。
私が知るところ、母は離婚後ずっと父の悪口を言い続けていました。
でも私の知らないところで、ずっと、大切だったのかもしれません。
書類とは別に、写真は歴史的財産として我が家に保管することにしました。
私には小さい頃の写真がありません。たぶん貧乏だったからです。イトコの家には私の写真があるそうです。
背筋がすっと伸びて力強い立ち姿勢で、私を軽々と抱き上げているおじいちゃんの写真はずっと大切にしたいと思います。
シュレッダー三昧の日々に、腕が変な筋肉痛になり肩もおかしくなった私に、その写真は丁度良いご褒美でした。
<追記>
遺品整理はまだ終わってないです。場所をとる廃棄物だけ処分しました。彼女の趣味のカップや器は私の趣味とは相いれないので困っているところです。