他人から見る自分と自分が見てる自分のギャップ
私は元来根暗で、心配性で、これは関係ないかもしれないけど品がなく貧乏性です。
品がなく貧乏性については、大人になってから品のある友人と自分を比べてみて、気付いたのですが、育ち、この一点だと思いました。
私は貧相な町並みの中で、貧相な家に育ち、豊富な妄想力を育みました。
豊富な、と言いましたが、貧相な家で育った子供が妄想できる裕福さなんて知れていて、その子供が妄想した裕福さとは、一般家庭の一般的なエンゲル係数より下でした。
一般的なエンゲル係数や、普通の暮らしと言われる衣服住について、気付いたのは大人になって、自分が働いてからです。
そうなってくると逆に、自分の両親がなぜあんなにも貧乏だったのか理解に苦しみました。(父親のサラ金が原因ですが)
染み付いた品のなさがゆえに身についてしまった、お金への執着のそれは品がなく、使い道も品がありませんでした。
使ってもまた働けばいい、だから全部使おう、電気代なんか2ヶ遅れたって大したことない、外食に行こう。そんな風にちっぽけな欲望を優先させるようなあまりにも子供じみた大人でした。
一方、品のある友人はヴィトンやエルメスが好きな大人になり、それはそれで成金と言うかギャルが抜けてない感じの時代だったんですが、それでも「良いもの」を「長く」使う大人になっていました。
友人のエピの財布にはいつも1000円くらいしか入ってなくて、それ以上は使わないと決めているようでした。私のファンシー雑貨の財布には2万円ほど入っていましたが、別の友人にも言われました。
「ちえねつの友人は実際お金は持ってなくても品があるよね」って。
品や物腰の大切さを学びました。
生涯かけてどうにかしようとしたって無理だろうなぁと思ってます、、。
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今日「悩んでもなければ、努力してない人には言われたくない」って言われました。
近しい人に。
これは、以前、だいぶ前、10年くらい前にも、言われたことを思い出しました。
言った人は全く別人です。
その人には「ちえねつは何の努力もしないでも手に入れられていいね」っていわれました。何を手に入れたように見えたのか定かではありませんが、
要するに、この二人の友人から見てる私と言う人間は、「悩んでない、努力してない、でも手に入れたものがある(=ずるい)」ということらしいです。
私は、怠けものだし、今の状態でいうと安静にしてなきゃいけない日もあるしで、ひっくるめて怠け者に見える。外からは。
冒頭に戻ると、私は根暗で心配性で不安症。悩まないわけがない。
努力はしたかどうかはわからないけど、人と接するときは楽しくしようと心がけてはいた、そのくらいだった。(病気前は)
極めつけ、「何考えてるかわかんないんだよ」と言われても。私だってあなたが何を考えてるかなんてわからないよ、と言いたい。
私の中で常になる不安や悩み、努力してる事、それらは、その二人の中ではないように見えているらしく、それはきっと、その二人に限らずかもしれない。
私の人知れずこつこつと積んでいる努力のようなものは、微々たりすぎて見えないのかもしれない。
でも仕方ない。
本当に仕方ない事なんだ、そういうことってあるんだって実感した夜でした。
とにかく私は品が欲しいです。この気持ちがゲスいなぁと思います。