勉強したくない頑なな意思 1
30代の私が、学生だった頃の気持ちを思い出して書きます。
勉強が嫌いな人や、苦手な人や、親に勉強しろと言われて怒り狂ってる人に読んでもらえたら良いなぁと思って書きます。
私は中学2年生頃から勉強したくないなって思っていました。勉強できなくていいって思っていました。
そこには強い意志すらあった気がします。
でも本当は、勉強できた方がいいし、出来ない自分を情けなく感じていました。それを認めるには、勉強はできないけど、勉強以外に得意なことがあるという理由が必要でした。自己承認かもしれません。
その一番繊細な気持ちを「言い訳」という一言で片づけられると辛かったことを思い出します。もちろんそう言ってくるのは大人です。私の場合は教師でしたが、読んでくれる人にとっては親や年上の兄弟であったりするかもしれません。
私の親は「勉強なんかできなくていい」という大人でした。
ちょうど私が中2の時に両親が離婚しているので、主に母親になりますが、私の母親は勉強できなくても愛嬌があればいいと言っていました。
今の私にはまったく理解できない教育方針です。(それってもう教育方針じゃない気が)ちなみに母親はびっくりするくらいバカでした。
父親なんですが、エスパーなので超人なので、教育熱心だったと思います。
主に宇宙とか神様とかの教えを熱心にお洗脳してくれました。
それなので、私がまだ習っていない数学の問題を出来ないでいると、なぜ出来ないんだ!と怒り狂って教科書を握りつぶしたりするような人でした。その教科書を握りつぶした手じゃない方の手にはお酒の入ったコップを持っていました。お察しの通り父親はバカ丸出しでした。
学力バカ愛嬌優先母とバカアル中宇宙教父を親に持った私はバカのサラブレッドです。
私は大人になってから気付いたんですが、子供が勉強をしたくないと思うようになる生活環境ってあるってことです。
いま、したいのは勉強じゃなくて、1秒でも早く自立したいとかお金が欲しいとかそういう思考になるんだと思います。
だからもし、これを読んでくれた人で、今のところ勉強したくないって思ってた人は、自分の生活環境を見回して、自分の周りにどのような大人がいるか確認してみてください。そこにアウトな大人しかいない時は、家の外で勉強することを提案します。
場所としては、放課後の空き教室、図書室、お金が少しあればジュースを買ってフードコートの隅っこでもいいと思います。
「ここなら出来るかもしれない」と自分が思える場所の確保ができたら最高です。
ところで絵を描いたり見たりするの好きですか。小説や漫画を読んだりするの好きですか。それも勉強の教科に入ると私は思います。
次回は「勉強の中身や種類」そういう話をします。
興味があったらまた読みに来てください。