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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

不信感を二度見たら三度目はない

私は「言われたことを忘れない」という性質ではない。本当は覚えていたいのだけど、記憶力は良くない。

人を嫌う時、確かな理由があったはずだ。たったひとつの出来事かもしれない。何かの積み重ねかもしれない。とにかく、嫌いという状態になるにはそれなりの理由があったはずなのだ。でも、それを忘れてしまう。何が理由だったか、原因だったか、思い出せない。嫌な思いをしたことは確かで。

 

2年くらい前まではそのようにして日々を過ごしてきた。だから、嫌いだと思って、一度離れた人がしばらくして私の前に姿を現すと、バカみたいな笑顔で迎え入れていた。

それが嫌になった。

決定的に嫌になった出来事を忘れないように、私は克明に、その時の状況をメールに打ち込み保存した。そして送られてきた関係メールも全て保存した。

「このような出来事があって、私はこの人が嫌いになり、距離をとった」と、忘れてしまう自分に残した。それが今とても役に立っていて嬉しい。

また笑顔で近づいてくるのだ。私に暴力的な言葉や持論の道徳を説教した人が、そろそろわかったでしょ?とでも言いたいのか、あるいは言ったことを忘れているのか、わからないのだけど、普通を装って(相手にしてみたら本当に普通なのかもしれない)話しかけようとしてくる。私は、私なので、自分の考え方で自分の中しかわからない。相手がどんな思いを持っているのかわからないし、正直知りたくもない。ただただ不愉快なだけで、不愉快な気持ちでいる時間が長いのが悔しいし、もったいないと思うようになったので、「どうでもいいこと」カテゴリーにブチ込んで、そんな人からの接触は無かったことにした。それがうまくいったので良い気分になれた。気分を切り替えるってこういうことだったのかな?と思った。

接触されそうになった日に、メールボックスを開き、当時の状況を確認した。

それは今見ても充分に腹が立つものだった。でも、それを直に思い出し本当に怒りが込み上げてくるというものではなくて、他人のメールを見て「これどう思う?」と聞かれて「これは腹立つわあ」というような感じ。時間は流れている。

そのメールを見て、全く腹が立たない日が来るとは思えない。あまりにも私の人生へ干渉しすぎた行き過ぎで無配慮で見当違いのアドバイス(と言う名のコントロール)だからだ。それでも内容それ自体は、世にありふれたただのおせっかいなだけだ。私はそれもわかっていて理解した上で、それはあなたに言われたくないと突っぱねる。突っぱねられたのなら、もうこれ以上、私をどうにかしようとしないでほしい。

こうなる前は、私もその人の悩み事を聞いたりしていた(相槌が打てるサンドバッグ)。今頃、それがしたいのかもしれないけれど、それはもうしない。

私は私の時間を大切に生きる。

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。