自分に起きたことを実感するまでのタイムラグ
正しくありたいとは思う。
でも正しさって、ひとそれぞれ違う。立場も違う。
同じことが起きて、自分なら傷ついても、違う人は全く無傷かもしれない。
その逆もある。
傷つけられたのに、他人を思って傷を隠すと、自分以外の人には私の傷はなかったことになる。隠してるけど、傷ついていることを察していて、見守ってくれる人は好き。
私の傷がなかったことにする他人は、その傷めがけてまた傷つける。
こんにゃくみたいなヘルシーで無害な言葉だと思ってるかもしれないけれど、私にとってはナイフのような言葉となる。
あまりにも唐突に傷つけられたり、馬鹿にされたりしたとき、思考回路が止まることがある。まさかそんなことをされるとは、夢にも思ってないから、脳がバグを起こして、精神を守ろうとしてくれる。
私の脳はいいやつだと思う。
そのあと、とても悲しくなって、理解されてると思い込んでいた自分を責める。
そしたらもっと悲しくなって、常温で放置された氷みたいになって、無防備になる。
そういう時は眠るに限る。
深い眠りは私を助けてくれる。(それは健康な人もそうだし、それができるから健康でいられるのだし)
眠りから覚めたら、悲しみは怒りに変わっていることがある。
でも実際に怒りを表現することは少ない。ほとんどない。私は、相手がある場合、相手がなんでそうなるの?と戸惑うのをよそに、徹底的に縁を切ることで怒りを消化する。しかし、相手がどうしてどうして?ってどうしても聞きたいっていうならいうかもしれない。
私の傷は私のもので、どう治したりどう守っていくかは、私が決めることで、傷をつけたあなたが決めることではないし、謝られても、その事実は受け取るけど、許すことはない。治し方のアドバイスなんてもってのほか、さようなら。
私は自分がすべて正しいとは思っていない。
でも、自分を脅かす他人が現れた時には、自分の正しさを信じるしかない。
自分の置かれた立場で、自分自身と自分の守りたいものを守るためには、堂々とする。
悲しくても怒ってても、泣きたくても、守るときは震えてても、堂々とする。
きゅうりに味噌をつけて2くち、それしか喉を通らなくても、飲み込めれば自分をほめたい。