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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

違う悩みの重さを量らない

私のブログ内の記事タイトルは「○○○しない」が多い。

「○○○しよう」は無い。それは今現在できないことが多い自分が、過去に出来ていた自分に対して説いているからだと感じている。

「する、しない」と「できる、できない」を混同して、私は破裂した。

「できるから、する」「できるけど、しない」「できないけど、する」「できないから、しない」

これらは過去の私の中に存在しなかった。「でも自分の選択でしょ」と言われるとそうなんだけど、そういう選択しかできないような環境に育ったので、その環境から離れてしばらく経つまで、複数の組み合わせの中から選んで良いと気づけなかった。

気づいた今は、とても身軽さを感じている。そして、しあわせを感じている。

 

「二つのうち、どちらか一つを選んでください」と言われることと、「二つのうち、どちらか一つを捨ててください」と言われるのでは、気持ちにどんな違いがあるだろう。

うまく言えないけれど、あぁ、、と思ってくれた方と同じ気持ちです。

私は捨てることができなかったので、それを見抜いている他人に後者の選択法を迫られることが多かった。

だからノーを言えるようになりたかった。私ができるできないではなく、私がしなかったことによる私以外の誰かの負担へ思いを馳せることなく、自分がしたいかしたくないかで選択できるようになりたかった。

そして、それは、日々の訓練でできるようになった。

思考の癖は、すぐには変えられない。でも、毎日続けると少しずつできるようになった。最初は罪悪感を感じたり、ノーと言った自分を冷たい人間だと責めたりした。

だけど私は諦めなかった。諦められなかった。自分の人生を生きていこうと思ったとき、それを邪魔するのはいつだって「自分で選んだように見える、他人からの干渉の末、取捨選択を迫られ残されたもの」だとわかったからだ。

自分の決断には責任が伴う。メリットもデメリットも自分のものだ。

今のところ、時々風当たりの強さを感じて固まる日もあるけど、この決断はそういうものだ、と納得できる。納得できるというのは爽快だ。そしてまた選択する。

 

先日、遠方に住む知人が、唐突に私の家を訪れた。

彼女は、自分の生活がどれだけ大変かを話していた。そして私の悩みを聞き出そうとしたけど、なんということか、今の私には悩みがない。

すると彼女は「ていうか痩せすぎじゃない!?改めて見たらやばくない!?大丈夫!?食べてる!?(!?=強い語気を表現してみました)」と私の体系について意見した。

私が困った顔をすると、彼女は嬉しそうだった。私には常に落ちこんでいて欲しいらしく、彼女よりもハードな悩みを持っていて欲しいらしい。

私はまたひとつ、選択をする。

私たちは確かに楽しい時間を共有した時期があった。100円は100円で、同じお菓子を買っておいしいねと言えた頃だ。

その思い出だけでは、もう無理なんだ。

私には、彼女に話そうと思う悩みがない。量られたくないからなぁ。

爽快。

 

(追記)

自分で読み直して気づいた。大切だと思ってる人の話ならどんな話でも聞ける。

私自身の事を聞かれれば、小さい事なら色々あるよ、と会話につながる。

(「私には常に落ちこんでいて欲しいらしく、彼女よりもハードな悩みを持っていて欲しいらしい」この勘繰りはなかなか酷いな、と思った、、)

今回それをしない、したくないと思ったのは、会って話す前から、薄々「もう違う」と思ってただけだ。私はすでに決めていた。出来事は後からついた。

本心を隠してばっかりで付き合ってきたわけじゃない。だけどバランスが悪かった。私自身の心地よいバランスにするために見直しをすると、人間関係が縮小されていく。

 大人になって、違う環境になれば、きっとよくあることなんだと思う。私が同じ場所に居過ぎたせいで、鈍感になっていたんだろうな。

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。