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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

私もいつか老婆になる

去年の11月に書いて下書きにしていたものです。

自分の過去を振り返り、してきた行いを公開するのに少し勇気が必要でした。

半年寝かせて、記事を読み返したら、今はもう大丈夫になってました。

きちんと「過去」になったのだと思います。あと、「過去の自分」を直視できました。以下から本文です。

 

 

 

 

ぴんとこないけど、刻一刻と時間は過ぎているので、このまま私が運よく生きていけたとしたら間違いなく老婆になる。

出先で老婆が目に留まる。色とりどりの老婆がいる。いつか私もその一人になる。

 

老婆になる準備というと少し違うけれど、11月に入ってから、自分は歳を重ねているのだ、という自覚を持つようになった。その感情は日に強くなる。

計画性とは無縁の人生を生きてきた。自分は計画性がない人間なのだと思って生きてきた。しかしそれは違った。

私はここ数年、小さな計画を立てたり、それを達成したり、失敗したりした。

今もいくつか計画してる事があって、多少前後はあるが途中経過としてうまくいってると思う。私には計画して実行する能力があった。

最初のころは、他人が私の計画を邪魔をしているように感じて、うまくいかなかった。その私の状態は、普通に計画実行できる人には変に見えると思う。

私は長い間、自分の計画や予定があっても、他人の計画や予定を持ち込まれた時に、他人を優先させて時には自分の計画や予定は諦めてきたから、そういうのが癖になっていた。(他人の「優先しろ」と恐喝されたことなど一度もない)

これは自尊心と関係してると思う。自分の事をないがしろにしやすく、大切にできない。「自分を大切にする」っていうことがどういうことなのか、全然わからないでいた。

私の経験で、振り返ると、その時の自分を慰めてあげたくなる出来事がある。

 

私は自分が性行為が好きな人間なのだと思っていたけど、全然違った。

これが今の自認意識。しかしその時の私は、性行為を迫られると断れなかった。断ってしまっては相手の立場が危うくなってしまう、と考えていた。今でも、そう考えていた時の気持ちは思い出せる。なんだかとても変な気持ちだ。

そして今は、その時の自分をとても不憫に思う。自分はしたくないのに、自分もしたいと思い込むことで傷つくのを回避していたからだ。

でも責められない。性行為を求められることで、自分の存在を必要とされていると思っていた。愛されてると思っていた。どんなに不安でも、わからないから、信じようとして、壊れるためのように飛び込んでいた、危険で未熟な人間関係。

それは違うんだと気づかせてくれた人がいた。

 

気づかせてくれた人とはお付き合いしていなかった。でも性行為はしていた。私は「自分はそういう存在なのだ」と思い込んでいるので、楽しい優しいなぁくらいに思っていた。その人は、歳は近いのに、やたらと大人びて見えた。しっかりと社会生活に根付いた常識人、要は「ただ年相応の普通の人」なだけだったと今は思う。

私はその人に随分甘やかされたけど、その人を好きだと思ったことは一度もなかった。

その人の住まいは私の町ではなく、車で4時間ほどかかる場所で遠かった。その人は休日や私の町への出張のたびに私に会いに来た。どんなに短い時間でも会いに来た。

時々、近くの喫茶店に呼び出されてコーヒーを飲んだ。「外で会う私は良い」と言っていた。私は性行為もしないでコーヒーを飲んで終わるこの会合が何なのかわからなかった。それは後に「デート」というものだと知った。

何かプレゼントしたいと言われた時、お金しか欲しくなかったので、何も欲しくないと言ったら、「物欲のない人だな」と言われた。そのうち、遠くの町にいたその人が、私の町に転勤が決まったと言った。希望を出して通った、と喜んでいた。

これからは沢山会えるねと言われたけど、沢山は会えないと言った。私には他にもそういう人がいたからだ。その頃に私はもしかして、と思っていたことを聞いた。「もしかして私の事が好きなの?」

その人は5分くらい絶句していた。そして「俺たち付き合ってたんじゃないの?」と聞いてきたので、付き合ってない、私は他にもこのような関係の人がいると言うと、また絶句した。

こんなに長い溜息聞いたことないってくらいの溜息の後、「お前は想像以上にばかだね、ばいばい」(のようなこと)って言われて、それきり。

その頃の私は、その人がそんなに悲しむなら、その人と付き合ってあげた方がいいんじゃないかと思う、歪な思考しかできなかったし、それを言おうと電話したけどその人はもう出なかった。今ならわかる。本当にばかだった。自尊心が低すぎる。

それ以降の私は、付き合うか付き合わないのかの言葉での確認をするようになった。

ばかが少し進化して立場確認をするようになった。けれど私の人生で後にも先にも、あのように私を大切にした人はいない。(その人とのその後がないから、良い思い出しかないからかもしれない)私は十数年越しに、その人の存在に救われている。

私の事を大切にするという気持ちがあると、(相手は、私は、)こうなる、っていうことを教えてくれた。

これからの人生計画の途中で、私は何度も挫けると思う。その時には、恋愛感情とは違うけど、その人にもらった時間を思い出し、自尊心とは何だったかを思い出したり、保ち続ける努力をしようと思う。

背中がぴんとする。

もしも、老婆になったころ、まだこのことを覚えていたらと思うと少し笑える。

 

 

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。