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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

親と子、違う生き物、違う頭の持ち主

悩んでいる。子供の話を聞いて悩んでいるのは私。

苛立っている。子供は苛立っていることを私に話している。

子供が苛立っている出来事については、「私ならこうする」という解決策があるけど、その解決の仕方はあくまでも「私なら」のやり方であって、彼にその気はない。

そんな解決策を選ぶくらいなら、死んだ方がマシだそうだ。

(しぬ、という表明や言葉を彼が使う時、私は叱るのだが、「ネタにマジ切れされてもわら」と言うので、私の好きじゃない方の今時の子なんだなと思って悲しくなる)

子育て中、もっと色々経験させてあげたかった、そんな後悔がある。

仕事と病気で、その日その日を普通の日にするので精いっぱいだった。

そして私はお金の使い方を間違えていたので、今思えば、違うことに使っていればよかったなぁと思う。未熟な母親でごめんねとは口が裂けても言えないけど。

(謝ることが自分のプライドに反するとかじゃなくて、謝られた方は今さらどうしたらいいっちゅーねんと思うから)

私が産んで、私が育てて、私が作った生活環境の中で生活しているのだから、私に似ている部分はある。

私に似ている部分は、彼を助ける力をあまり持たない。

私に似ていない部分は、彼が自分で持って生まれた性質や努力で、随分とクリエイティブになっている。

 

どうも他者とのコミュニケーションに苦労しているようだ。

いくらクリエイティブな良い物を持っていても、自分で楽しむ以外で、それを武器に社会に出て行こうとしたとき、最低限のコミュニケーションはできた方がいい。

いや、できないと困る。どんな形でも構わないけど、得意なコミュニケーションツールの確立が必要となる。それを面倒くさがるのは自由だけど、自分の為になることをする、それすら億劫なら、もうどうしようもないな、と思う。

「やりたいこと」をするために行動すれば、途中で、やりたくないことや苦手なことが出てくることもある。それに対応する力を身に着けてほしい。

でもそんなことを私が口で言うのは簡単なことで、そんなのは本人も百も承知なのだ。

私が思うより数倍数十倍も彼は複雑だ。もう子供じゃない。

私にできることは何もないのだろうか。話を聞くくらいしかできない。

あまり乗り気ではないが、彼の言う暴言や悪口を、一緒に言ってみようか。

暴言はひどいものだし(ネタにマジレスだし)悪口を言う先にいる人物も、私が聞く限り普通の同級生だし、どちらかと言うと彼の方が何言ってるかわからないし、(よくある「わからないポイント」は、彼の話の途中で出てくる言葉や感情の「主観」が変わっていること。彼自身の話かと思って受け答えしてたら、知らない誰かの話になってたり、みんなの話になってたり、たとえばの話をしてるのかと思ってたら現実の話をしていたり)(それを突っ込むと「普通気づくでしょ、普通わかるでしょ」と言う。普通とは…)

私は母親に「感受性が強い」と言われて育てられて(母親は感受性が強いことはいいことだとして誇らしげだった。私は感受性なんか激弱でいい、皆無でいい、普通になりたいと思っていた)今に至る。そして薄々気づいている。

私たち親子は代々、何か、どこかが、少しずつずれている。

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私がしてあげたいことと、してもらいたいことは食い違うし、できない事に挑んで失敗することを何らおかしい事ではない、それを知ってもらいたい。

 

私と子供は別の人間なのだ。

彼の人生は分岐点のプレッシャーと揺さぶりで(あと経験値不足)不安定になっている。最適解など見つけられないだろう。見つけられたとしても、それを実行するには自分の中の何かを捻じ曲げることになり、苦しいだろうと思う。

でも、私は話を聞くしかできない。

聞こう。

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。