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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

必要なのは定規や測量じゃなくてコンパス

私が恐れたのは、理解の無い他者から放たれる声ではなかった。

本当に恐れたのは、他者が放つ言葉の奥に、過去に自分自身が、他者に向けて放った声が聞こえたことだ。

自分自身が社会的弱者になる、そんなことを全く想定していない完全無敵の正論者ぶっていた頃がある。正論は美しい。間違いがない。それ以外は(理解できないから、理解するに値しないから)ゆるさない。(許す許さないの問題じゃないんだけど、なぜかこういう風に思っていた)

見えている世界が狭かった。様々な経験も少なかったはずなのだけど、なぜか当の本人は経験豊かで知識も豊富だと思い込んでいる。自分の努力や苦労や苦痛が全ての基準で、他人の努力や苦労や苦痛を計ろうとする。比べられるものなど何一つないのに。

この過去の自分は今でも恐ろしい。

だから今、今の自分にとって、どんなに理不尽な話を見聞きしたとしても、ダメージはほとんどない。ないわけではない。

見ず知らずの人に、ある種のグループにカテゴライズされた自分がいて、放たれる暴言の先にいる立場である時、微動だにしないわけじゃない。何か言いたくなる。だからこれを書いているのだけど、、。直接は言えないけど、、。(本当は言いたいことは何もない)

今はもう、多少落ち込むくらいで、次の日には忘れる。そういう感情のコントロールは数年かかってできるようになったし、諦めることで解決できると知った。

だけど、まだそれに慣れてない人にとっては、かなりダメージが大きいだろうことは想像できる。それが不憫だ。

自分の人生を生きて行こうとしたとき、決断をしたでしょう。

私はしました。「いつまで続くかわからない命を使い切るまでの生きる方法」

まずは目の前の問題もまともに理解・整理できなかった時、とりあえず生活を確保したでしょう。(それと時間差で人間関係も清算した、されたでしょう)

寝たきりで泣き続けたでしょう。責めて、悔いて、憤って、放心した。

だからって、自分に無関係の人を攻撃しなかったでしょ。関係ある人だけでしょ。

それにきっと、それだって心の中で。ノートの上で。悪夢の中で。

しばらく経つと、自分の生きる人生に、他人の苦労や苦痛は取り込んではいけない、そんなことを思って、比べることの無意味さを知った。思いやりを持てるようになれるのはもう少し後で。

私はわたしで、あなたでもきみでもない。あなたもあなたで、私でもきみでもない。

私とあなたは、比べるところが何もない。比べることは不可能。

私とあなたは違う人間だから、あるいは、人間だということだけが同じなだけだから。

消えてしまいたいと思う自分の人生を生きるために、必要なものだけを揃えて継続していこう。

他人の声を聞いて、傷ついたり憤る時は、深呼吸をして、自分の人生を生きることを考えよう。理解など求める行為は、寛解して10年経ってからでいい。

 

うつ病になったばかりの頃の私や君へ

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。