大丈夫だよ、って
不安な時間を過ごしている。本当に「肌がひりひりする」ことってあるんだ、と気づく秋の夜。焦燥感は一定の状態である。高くもならないけど低くもなってくれない。
これは私が何とかしなければならない事なのだ、と事務的な思考に持っていく。
それが精いっぱいだ。
先送りにしたって解決しないことなんだけど、今の私には先送りにすることしかできない。今、できる、解決に向かう可能性のあることはどれだ?どの方法だ?今まで考えたことない可能性はないか?自分じゃなかったらどうする、どう動く?と、たくさん考えた。そしたらどれもこれも無理だった。
今の私には無理だった。それがわかった。だから先送りにすると決めた。
今の私ができない事を、明日の私はひらめくかもしれない。ひらめかないかもしれない。
今、私はこういう状況です、この状況のこういう事に不安を持っています、そして問題だと思っています、それを解決する方法はありますか、それは私だけでできることですか、誰かの協力が必要になってしまいますか、絶望はしてません、希望も特に持ってません、この問題を解決することを希望と呼ぶにはあまりにも些細な事柄すぎます。
私はこんなことを希望と呼びたくありません。当たり前の事だと思いたいです。
その当たり前の先にあるものが私にとっての希望です。
気が向けば溜息をついてます。できるだけ大きくため息をつきます。無意識に呼吸が浅くなっているから。溜息ついたら幸せが逃げてくよと言われたらすぐさま逃げます、そういうこと言う人から。
そして私は現実では誰にも相談せずに、自分で勝手に不安になっています。
もう少し考えてみたい、と思うからです。だけど、一瞬、凄い実績のあるその専門の誠実そうな人に、大丈夫だよって言ってもらえたらどれだけ楽になるだろう、と思ってしまいました。
その専門てなんだ、と自分に突っ込みながら、自分で言いました。声に出して独り言言いました。大丈夫だよ、なんとかなる、なんとかしかならない、絶対大丈夫。