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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

私だった私と私になった私、だから何?

私の周り、記憶のねつ造がすごい。

自分の方が間違って覚えてるんじゃないかって自分を疑うほどにはすごい。

だけど私には保存してあるメールがあるので、やはり間違っていない。

 

時間が経って、気持ちの変化はあるでしょ、と言われれば、ある。

私の記憶の中にいる私が酷い行いをしたことも知っている。

だから何?という気持ちだ。

昔の私はこの「だから何?」が出来なかった。

それで自分をないがしろにした。

時間が経って、すべてを水に流せる日が来るというのはあるのかもしれない。

実際あるんだろう。

私にとって今はそうじゃない。それに私はすべて水に流すことはできない。

「そういうこともあったし忘れないよ」という確執を残したまま、新しい関係が築けたらとは思う。

怒る、憎む、というのはとてもエネルギーがいる。疲れるのだ。

本当はやめてしまいたいと思う日だってある。

その諦めた私は、前の自分のようにはならない、元に戻らないだろうとも思う。

都合よくサンドバッグにはならないし、聞き捨てならぬ暴言をかまされた時には突っ込む。倍返しかもしれない。

でも今はしたくない。

私は「友人」だと思っていた人と距離を取ることで、感情や体調が安定してきた。

今は理解者だけが絶妙な距離でいてくれる。とても、ちょうどよい。

 

先日、道端で知らない子供と知らない女性と話す機会があった。

その二人は他人で、子供が迷子だという。

泣いてる子供に何とか情報を聞き出そうと、女性はあの手この手で頑張っていた。

学校がわかったら、家までは帰れるかと聞いたら、かえれる!と言うので、その子供の学校まで一緒に行こうということになって(近所に学校はひとつしかない)、知らない3人で並んで歩いた。

10分もなかったと思う。その間他愛のない話をした。

さっきまで漆黒の闇の住人みたいな顔をしていた子供が、知ってる道に出た瞬間にわかった!赤!と言って遠くを指をさした。その方向にはマンションが並んでて、赤い物なんてないと思ったけど、「ほら!」と見ろと言うのでその子の背丈ほどにしゃがんで見たら、マンションとマンションの隙間に、弁当屋の赤い看板の上の方が少しだけ見えていた。私は本当だ、と言った。知らない女性も、ああーと感嘆した様子だった。

すごいね、いつもあの赤、目印にしてるの?と聞くと、「うん!」と言って、子供はぴょんぴょん飛び跳ねていた。

学校の窓口で事情を話し、その子供とはさよならをした。

知らない女性は、あ~良かった、じゃあ私はこれからバイト、こっちだから、と言ってお辞儀をして、私も、良かったですね、私は今来た道を戻ります、と言ってお辞儀をして別れた。

他人と話すのは実に数年ぶりで、とても新鮮だった。

今ここで書こうとするまで忘れていたけど、これくらいの人との関わりは丁度良い。

「人間関係」が面倒くさいんだな、と改めて思いました。

これから先出会う人には、今の私で良いんだなと心に落ちた一日でした。

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。