pray
500円玉貯金は8枚しか貯まってない。
なんともふがいないペースである。
私はどこかに行きたいと思うことなどここ十数年なかった。
深夜のスーパーに残った物を買いに行きたいと思い、行くくらいだ。
人権について、人(私)が隠す本心について、考えている。
生活について、刹那的な自由について、広範囲で散見する暴言の生誕について考えている。必ず、貧富の差についても行きついてしまう。自己責任論ももれなくオマケでついてくるが、迷わずゴミ箱に入れてついでに完全にデリートする。
容量の無駄遣いだ。
なぜなのさ!?と問われても答えられない。
私がそこに行って何がしたいのか、そんなの、特にない。
私たちは本当に生きていたんだね、それを、したい。
生きているうちに、会いたい。
あなたが生きていることを知っている私になりたい。
執着とは違う。
歩いて30分の場所にいてくれたら、今すぐにでも行っただろう。
私は今日も生きていました、と言って、聞いてねえ~~~!しらね~~~~!と言われたい。
たくさんの話を聞きたい。
私の知らない世界の話、白濁した世界の話、法や地方自治の話、聞きたい。
一緒に勉強もしたい。私にだって何か一つくらい提供できる学があるはずだ。
変な教師の話と、そいつが作った理科のテストは取ってあるから、一緒にダメ出ししたい。
遊びたい。
私はあなたと遊びたい。
祈る。私はクリスチャンではない。
でも祈るのだ。
この疫病が過ぎ去り、訪れる新世界に、お前たちはうっかりミスだわ枠で残っていて、
私の500円玉貯金が100枚くらいにはなってることを、祈り、笑うよ。