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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

僕の意志で愛した

はてなブログでは今週のお題「お父さんに伝えたいこと」というテーマになっていて、私にとっては大変グロテスクなテーマですなあと思う今日この頃です、ワラ神サマは完成しましたか?

今日は漫画、
ナンバー吾(ナンバーファイブ/松本大洋)を再読していて、「僕の意志で愛した」「パパ 愛してるよ」というセリフを見て号泣しました。
3年に1度は読むんですが、毎回違う場面で号泣します。号泣といっても、声をあげてわんわん泣くってわけではなくて、信じられない量の水が目から出続ける感じです。
私は登場人物全員好きなのですが(この漫画好きな人は最終的にそうなる)
マトリョーシカの存在が、とてもすくいになるのです。私の。
それに気付くまで、15年くらいかかって、今日は完全に確固たる何かが生まれました。
私の完成されている日常のまあまあ明るい暗闇の中に、マトリョーシカは必要な存在で、まあまあ明るい暗闇であれるのは、マトリョーシカのおかげだとも思います。
今日生まれた何かが、ナニなのか、今のところはわからないけど、生きていけばそのうちわかる日が来るだろうとぼんやり確信しています。

この漫画では、子どもたちが共鳴をおこすシーンが多々あります。
最終巻(8巻)では羨ましくもありました。
私は子ども時代に、会いたい大人はいたかな?
虹の、あの場所で、あの人に 会いたいな
そんなふうに思ってた、思ってる人、いるかな?

読後はいつもトランス状態になってる気がする。
私は漫画の中にはいけないし、登場人物でもないわけです。
でも、何かを思い出しそうになる。
それは多分、このブログでいつか書いた、「何も無い場所に行ったことがある」の場所だと思う。
懐かしい。
懐かしいって思う。
私の懐かしい場所には、誰も居なかったけれど、きっと、漫画で描かれた場所はそういう場所だったんだろうなぁ。
虹を、オーロラを、見ておけば良かったなぁと悔しがる気持ちを大切にして、2~3年後にこの漫画を再読し、私はまた号泣(目から大量の水を出す)するんだろうなぁ。

あ、あと、毎回思うこと。
頭良すぎるといろいろ「わかっちゃって」、しんどいですなぁと…マトリョーシカとマイクを見てて思う。
手放した者と手放さなかった者、両者の違いは違う方向に同じだったように感じる。
そして新しい生命が、同じとは限らないよな…と感想を言っておわり。

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my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。