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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

ログ、そこにとどまれ、重なり続けろ

例年のこの時期に思うような
虚無がない。

もしかしたら物心ついてから初めての気持ちかもしれない。
それについて書く。

この世界の片隅に
というアニメーション映画がある。
クラウドファンディングで資金を集め、製作し、集客し、上映し、「喜び」が形を持って現れたのを目撃し、私はただただ呆然とした。
(私が実際に観たのは映画館ではなく地上波だったが、映画製作に賛同しクラウドファンディングに参加した方々のリアルタイム発信は見ていて凄いと思った。)
今の私たちに必要な物語だった。

私たちが今生きているのは、私たちの祖先が戦前戦後生き残り、生き抜いたからに他ならない。
戦争とは軍と軍の戦いではない。
ひとがしぬということだ。
何人しんで、どこで降参するかをするやつだ。
ところで私は戦国ゲームもサバゲーも嫌いだ。
嫌いとは違うか、なんというか、興味がない。子供の頃からずっと、興味がない。
ころしあいをするやつだからだ。

ゲームには基本的にルールみたいのがあるようだが、現実のは歴史にならえば、始まってしまえばルールなんてない。人間のメンタルはそこまでシンプルにいられない。
勝手に壊れて勝手に壊していく。
弱いものが弱いものを壊し、さらに弱いものからしんでいく。

生きようとした人々は生活をする。
生活をする。
毎日、無いものをあるようにし、少しでも、生活をする。
それを描いた「戦闘機に乗らない、負傷者を助ける医師でもない、ただの市井の戦時中の生活」が「この世界の片隅に」だ。

素晴らしかった。
そしてこれは興味がある人々が、この先ずっと観ていくものだ。
それが私はうれしい。


そして、いま、
私たちはあらゆるインターネット上で日常を発信している。
コロナ禍で過ごす日常を発信している。
コロナ禍で開催されたイベント、自然災害、老人による老人のための、労働搾取するゴーストみたいな金持ちによる金儲けのための(経済活動という名目らしい。命あっての経済活動なのだが)混乱した国の中で、私たちは、私は、生活している。
私は社会的にいうと弱者にあたる。
そんな弱者の私が、インターネットを使えるようにしてくれている社会に感謝している。
それを使い、私は私の日常を発信する。
また、受信する。

コロナ禍で、私が正気を保っていられるのは、同じように日常を発信してくれている一般の人々のおかげだ。
凍りつくような情報を得た後で、「でさ~」と「どうでもいいばかばかしいことなんだけどあのねさっきね、」と呟いてくれる知らないあなたの日常が、
私の気持ちを撫でていってくれる。
ありがとうございます。


この日々のログが消えたら、と考えると
虚無が来た。
だから、消えないで欲しいんだな私は、そう思ってるんだな、私は、とわかった。
知らない人々の日時が記載されてる膨大なログ
私たちにまだ明日が続くのなら、
消えないで欲しい、ログを守りたいと考える。
それが今年の8月だ。

鶴はやっぱり折った。
八羽。あと風船もひとつ。
おはぎのための小豆も缶詰めを買った。
寝て起きたら食べる予定。

でも、雨が降っている。
私の地域は降っていない。
湿度は高く、雨の気配はある。
夜空は白く、黒くない。雲があるからだ。
私の住まない地域で雨が降っている。
家が流されて、車が、山が、土が、木が
川が、人が

命の線引きしているやつがまだいる。
まだたくさんいるよね。
神かな?
子供かな?
流されていく。くだらない思想、ありがたい寄付、選ぶ側、選ばれる側、その線引きしているのは誰か知ってる?
あなたじゃない、もっと昔からね、ある、
人間は弱いから
線引きするの、面倒臭いから、怖いから、ばかだから。
明日が続くことを、まだ理解できないから、
自分が生き抜いたら、続くものを知らなくて
興味がないから、今は

今は、昨日の自分で
明日は今日の自分で
残念ながら続く

私は、まだ生きてるから、いつかの日まで生き抜く。本当に、思ってる。
おむすびなんて好きなだけ食べる。
私は、今日もあなたとただ生きていく。
意味はない。
ただそれだけの、日々だよ。

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2021年8月15日 04:06 ちえ

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。