backNumberlock

大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

読書・ターン

本を読み終えて巻末を確認した。

 

「ターン」 北村薫

 

平成12年7月1日 発行 とある。

西暦2000年の作品だ。

私は136頁と157頁のとある部分で、巻末を確認したくなった。「この物語はいつ作られたのだろう」という疑問が湧いて、それを解決したくなったから。

でもしなかった。私は読み終えるまで作品がいつ生まれたのかを知らないまま読み終えることにした。それを、知って、読み進めることは、物語の中の何かを(たとえば楽しみを)、失ってしまうと思った。

2017年の私は2000年の私のつもりで(文末)、新刊を手に取ったような気分で、読むことを選んだ。本を閉じるような簡単な動作で知ることができる情報を、私は得なかった。読後、それは正解だったような、嬉しいような恥ずかしいような、変な気持ちになった。

 

主人公は29歳の女性、真希。

私は主人公に一切感情移入をしなかったし、理解もしなかった。共感できる描写も一つしかなかった。自分と彼女の人生が違いすぎることと、自分と彼女の精神的支柱が(あるいはただの現実が)違い過ぎて、「なんて誠実な人なんだ」と感心ばかりした。

物語の舞台となる「世界」で、真希のたくさんの1日が描かれていく。

淡々と過ぎる1日はあまりにも淡々としていてターンターンという駄洒落なのかと思うほどだった。

私が共感したひとつがそれであるのだけど、淡々と同じ1日を過ごしていくこととは、多分こういうことで、条件さえ揃えば、こういう風にするのだろう、そう思った。

 真希が「世界」に穴を開けられたのは、真希が版画家で、作品を世の中に出していたからだ。真希が版画家になれたのは、父親が魔法を見せていたからだ。私はそう思う。

真希という女性は、人付き合いに向いてなく、友人は多くないが、家族を含め、自分の周りにいる人をとても大切に思っている。そしてそばにいる人も、。

彼女の地味な今までの毎日の全てが、彼女を「世界」で生かした。

 

信じられないくらい「遠く」から「近く」に行く時、名も知らないルールも知らないゲームに参加して「一度だけだよ」、と言われたような気持ちになってしまう。

思いつく限りの思いを動きに変えて、彼女は歩く。走る。

転ぶ、立ち上がる。休む、歩く。だらける、挫ける、眠る、起きる、歩く。

彼女の作る版画作品も、彼女の行動力も、誠実さも、美しいと思った。

彼女は取り乱した時にも一貫性があり、冷静なところがある。それは常に自分以外の者と対話していたからかもしれないと思った。ひとはパニックになった時、自分一人で、状況を把握して問題点を理解して、原因を探して見つけて解決法を編み出し解決してパニックを終わらせることができるだろうか。無理だ。

彼女は常にひとりではなかった。

自分が大切に思う人を、どう大切に思うか、考える一冊になった。

私は、自分が大切に思う人を思うように、自分を大切にしていこうと思う。

数年後に、また読む。

 

_余談_

 

作中に、2017年への贈り物があった。

空前絶後の」という一文にふふと声が出ました。

おそらく、この物語「ターン」を思い出すとき、私は間違いなくサンシャイン池崎さんのこともセットで思い出すでしょう。

 

 

 _文末_ 

結果的に、読後の状態では、という意味。読んでいる最中は2000年を知らないでいる。

読書・紙の動物園

短編集を読んだ。

「紙の動物園」ケン・リュウ

 

今絶対読むべきSF作家 ケン・リュウ「紙の動物園」「もののあはれ」 - あざなえるなわのごとし

 

azanaeruさんが書評していたのを読んで、読んでみたくなったので、数少なくなった近所の書店に行った。スーパーの中にある小さな書店コーナーで、「検索窓口」と書いたレジにいた店員さんに聞いた。

本コーナーを練り歩いてジロジロと背帯を眺め、20分は経ったと思う。

タイトルどころか、出版社別に並んだ本棚からその出版社さえ見つけ出せなかった。

 

私はいつも本を読みたい時、背帯を眺めたり、平積みにされている装丁を見たりして、その日気になったものを…と、かなり適当に選ぶ。そんな風にして本を選んでいるので、どこに何があるのか考えて見つけるのが苦手だ。(昔はすぐに見つけられたのに)

「検索窓口」と書いたレジがなかったら、きっと買わずに帰った。検索窓口は必要だ、そう思った。検索窓口の店員さんは話すより早く検索し見つけて持ってきてくれた。

ありがとうございました。表情には出せませんでしたが、とても嬉しかったです。

 

買った本をその日のうちに読み始めることもあれば、数か月放置しておく時もある。

今日は前者だった。

 

読後、私は物語に対してやるせない気持ちと、自分に対して悔しい気持ちになった。

物語はどれも私に突き付けた。何かを、多くの何かを突き付けた。どうしよう、、そんな風に思った。そして、どうしようもない、大丈夫だ、これは、物語だ、大丈夫だ、そう言い聞かせた。そして、物語だろうか、、?とも思った。

短編集なので、ひとつひとつ呼吸ができたけど、この短編のどれかひとつでもこの一冊分のボリュームの作品だったとしたら、私は読み終えることができただろうか、そう思った。これらの物語を読むには、私はあまりにも無知だった。それが悔しい気持ちの正体だ。

この本を読む前に、私はもっとたくさんの違う本を読まなければならない、そしてまたこの物語を読みなおさなくてはならない、そう思った。

著者近影を見ると、自分とそう歳の差がない人物がいた。私は自分が恥ずかしかった。

才能の有無ではなく、この歳まで生きていて、私は知らないことが多すぎる。

知るチャンスがたくさんあったのに、知ろうとしなかった(興味がないと開き直ってさえいた)けど、おそらく、この歳になってやっと、知っても感情に押しつぶされて伏せることない大きさになったのだとも思う。

10年前の自分ではきっと最後まで読めなかった。それほど私は無知であらゆるドキュメント性に弱かった。

 

読んでよかった。また、読む。

 

_余談_

中国語で読めたら、もっと意味が分かるのに、英語で書かれた物なら英語が読めたらもっと意味が分かるのに、日本語に直した瞬間から全部の意味合いがちぐはぐになる箇所が悔しかった。他国の文化を知っていれば、もっとすんなりと理解できるのに、どこが面白いところでどこか深刻なところなのか、説明を必要としなくていいのに。

私は日本で生まれてずっと日本で過ごして、日本人とばかり接している。

私の暮らしはそう成り立ってしまっている。

他の国の歴史どころか、自分の国の歴史も知らない。何が起こっていたのか、全然知らない。学校の社会の先生は好きだったけれど、私が学んだアレは、本当に日本の歴史だったろうか。世界史を学んだけど、あれは出来事でしかなかった。

私たちは随分前から関わりがあったはずなのに、どうしてこんなに知ることが難しかったんだろう。私の不勉強のせいだけだろうか。不甲斐なくて、少し落ち込んでいる。

 

中学生の頃、シンガポールから来ていた大人の女性と話したことがある。友人家族の友人だった。

とても日本語が上手なその人に、英語の宿題を手伝ってもらうために何人かで友人宅に集まった。そして結果から言うと、英語の宿題は1問もできなかった。彼女は問題を読むなり、「意味が分からないよ」と言った。中学生の頃の私は、「なんで?」と思った。質問をする英文があって、それに英語で答えよ、というものだった。

「何を聞いてるのかさっぱりわからないよ」彼女は言う。

例えば「あなたの好きな本とその好きな理由を教えてください」みたいな質問文だったとして、彼女は「だったらタイトルと理由を言えばいいじゃない」と言う。

「Gakumonn no susume,verry good」でいいじゃない、と言っていた。

しかし私たちに課せられた答え方は、「正しい文法を用いての英文での答えであり、理由もそれっぽい何かを述べなければならない」だった。

彼女は「本当に、意味が、わからない」と言った。そして「ごめんね、役に立てないみたい」と言って笑った。

そんな出来事を、今回本を読んで思い出した。

私たち(友人含め)は、他国の文化を知らなかった。今は、なぜだったのかわかった気がする。きっと、日本の学習方法は、彼女にはとても不思議で無意味に映ったんだと思う。それよりお話ししよう、と言って、おいしい知らないお茶を出してくれた。

そしてそれきりの繋がりでは確かめようがないけど、私は結局、彼女が何人だったのか、知らないままでいる。

 

 

 

まばたき

あの時隣り合わせで見た夕焼けがこんな色だったけど

今はもうどうでもいいことで

どうせ毎日同じような歪み方をして

捻じ込まれた些細な記憶

 

こんなにも鮮やかに色を付けて現れる あまりにも突然に 堂々と

 

匂いを連れていた

あの時の隣り合わせた肩に寄せた全てはあまりにもすべてだった

 

 

 

他人の思考回路に水を差す

数日前、のどが潰れてしまいそうな外圧を受けた、ような、痛みを感じた。

「だったらやめた方がいいかもしれない。」私はそう言った。

確かにそう言ったんだけど、それを言う前にのどが痛んだ。

言うべきか、言わざるべきか、本当はそんなこと言いたくない。

諦めないでほしい。やめないでほしい。見つけたものが藁でもいい、しっかり、つかんでほしい。

子供が進路についてナイーブになっていたのだ。

私には「悩んでいる」というより「分裂した感情をぶつける場所を探している」ように見えた。実際にそうだったの(部分的に)かもしれないけど、彼はしっかりと悩んでいるに違いなかった。

支離滅裂な希望や絶望を聞き、一人称がころころと変わるたらればを聞き、社会の制度について(の断片的なイメージ)の不満を聞き、人間であることが嫌だ、地球が回るのも嘘だ、宇宙は誰かの遊びだ、と言う彼の話をふんふんと聞いていた。

目の前に、こんなにわかりやすく拗らせている人間がいるなんて奇跡、、!

漫画の中だけだと思ってた、、!(あとは本当に病)

 

自分が進路についてプレッシャーを感じたのは高校受験の時が最初で最後で、そのあとは就職活動する時も辞める時も悩んだりしたことがなかったので、私の時はどんなふうに考えて決めたのか聞かれたけど、「彼と同じ年の頃の自分」としての経験や思い出話をすることができなかった。

だから今の自分が思うことを言った。

○今、考えることは優先順位を付けた方がいい。

○優先順位は、進学するか、しないか。(「進学する」と答えた)

○進学するならば、「何を重点的に学びたいか」をピックアップする。

○進学するにあたって今の自分の学力で可能かどうか調べる。

 それだけだ、と言った。

すると、彼の心の葛藤がどこにあるかわかった。

「何を学びたいか」というところで、興味のある分野はいくつかあるらしいのだけど、それが「就職に結びつかないから無駄だ」と言った。なぜそう思うのかはわからないのだけどイメージができないのだろう。その状態はわかる気がした。

そして進学の際には奨学金を利用するので、就職に結びつかない勉学はお金が無駄になると考えていた。

私は、それは片面では当たってると思うが、片面では間違っていると答えた。

○世の中には仕事に直結する勉強をする人がいる。そしてそうじゃない人もいる。

○勉強は就職のためだけにするものではない。人生そのものの為にする。

○勉強は知識を増やすためだけの行為ではない。得た知識を自分に馴染ませると人は変わる。成長ともいう。

○社会の仕組みは少しずつ変化している。就職に関しては、きっと、君が具体的にイメージできた時点で大丈夫、今はあまりにも漠然としているから、考えても仕方ない。

○就職は自分一人で決めるものではない。相手の会社の人間とのやり取りで決まる。

自分一人で決められるのは、進学先くらいだ。だから、しっかりと自分の意識を持って、選択して、決まるまで思う存分悩んだ方がいい。

 

2時間以上、話と妄想(彼の中では現実)を聞いて、1時間以上答えて、何も答えは出なかったけど、彼は清々したようだった。

「自由すぎるとつらい、制限が欲しい」と言ったので、freedomとlibertyは違う、まずは自分(の思考)がどこにいるのか確認した方がいい、と言って

気が付いたらもうほぼほぼ朝だったので慌てて寝ました。

 

○私は子供に対して使うべきではない言葉などをよく使うのですが、「他人には言われたくないこと」を私は言います。たとえば、子供の思考の弱点などをはっきり言います。ものすごい反撃が来ます。それにひとつひとつ応戦します。さらに反撃してきます。反撃の途中で子供の思考に変化が出ます(すごくよくある)最後の最後に、彼の中で一番納得のいく結果が出ます。それは自分の口から出るまで、本人もわかってなかった本心みたいなものです。

「他人に言われたくないこと」を「本当に他人に言われた時」どうなるか、大体は沈黙してしまうか、激昂してトラブルに発展したり、、。

それを「私相手」だったら、彼も思う存分「言い返せる」

言い返せる、というのはとても大切。

そう思って接しています。  ※ものすごく、疲れます。笑

私もいつか老婆になる

去年の11月に書いて下書きにしていたものです。

自分の過去を振り返り、してきた行いを公開するのに少し勇気が必要でした。

半年寝かせて、記事を読み返したら、今はもう大丈夫になってました。

きちんと「過去」になったのだと思います。あと、「過去の自分」を直視できました。以下から本文です。

 

 

 

 

ぴんとこないけど、刻一刻と時間は過ぎているので、このまま私が運よく生きていけたとしたら間違いなく老婆になる。

出先で老婆が目に留まる。色とりどりの老婆がいる。いつか私もその一人になる。

 

老婆になる準備というと少し違うけれど、11月に入ってから、自分は歳を重ねているのだ、という自覚を持つようになった。その感情は日に強くなる。

計画性とは無縁の人生を生きてきた。自分は計画性がない人間なのだと思って生きてきた。しかしそれは違った。

私はここ数年、小さな計画を立てたり、それを達成したり、失敗したりした。

今もいくつか計画してる事があって、多少前後はあるが途中経過としてうまくいってると思う。私には計画して実行する能力があった。

最初のころは、他人が私の計画を邪魔をしているように感じて、うまくいかなかった。その私の状態は、普通に計画実行できる人には変に見えると思う。

私は長い間、自分の計画や予定があっても、他人の計画や予定を持ち込まれた時に、他人を優先させて時には自分の計画や予定は諦めてきたから、そういうのが癖になっていた。(他人の「優先しろ」と恐喝されたことなど一度もない)

これは自尊心と関係してると思う。自分の事をないがしろにしやすく、大切にできない。「自分を大切にする」っていうことがどういうことなのか、全然わからないでいた。

私の経験で、振り返ると、その時の自分を慰めてあげたくなる出来事がある。

 

私は自分が性行為が好きな人間なのだと思っていたけど、全然違った。

これが今の自認意識。しかしその時の私は、性行為を迫られると断れなかった。断ってしまっては相手の立場が危うくなってしまう、と考えていた。今でも、そう考えていた時の気持ちは思い出せる。なんだかとても変な気持ちだ。

そして今は、その時の自分をとても不憫に思う。自分はしたくないのに、自分もしたいと思い込むことで傷つくのを回避していたからだ。

でも責められない。性行為を求められることで、自分の存在を必要とされていると思っていた。愛されてると思っていた。どんなに不安でも、わからないから、信じようとして、壊れるためのように飛び込んでいた、危険で未熟な人間関係。

それは違うんだと気づかせてくれた人がいた。

 

気づかせてくれた人とはお付き合いしていなかった。でも性行為はしていた。私は「自分はそういう存在なのだ」と思い込んでいるので、楽しい優しいなぁくらいに思っていた。その人は、歳は近いのに、やたらと大人びて見えた。しっかりと社会生活に根付いた常識人、要は「ただ年相応の普通の人」なだけだったと今は思う。

私はその人に随分甘やかされたけど、その人を好きだと思ったことは一度もなかった。

その人の住まいは私の町ではなく、車で4時間ほどかかる場所で遠かった。その人は休日や私の町への出張のたびに私に会いに来た。どんなに短い時間でも会いに来た。

時々、近くの喫茶店に呼び出されてコーヒーを飲んだ。「外で会う私は良い」と言っていた。私は性行為もしないでコーヒーを飲んで終わるこの会合が何なのかわからなかった。それは後に「デート」というものだと知った。

何かプレゼントしたいと言われた時、お金しか欲しくなかったので、何も欲しくないと言ったら、「物欲のない人だな」と言われた。そのうち、遠くの町にいたその人が、私の町に転勤が決まったと言った。希望を出して通った、と喜んでいた。

これからは沢山会えるねと言われたけど、沢山は会えないと言った。私には他にもそういう人がいたからだ。その頃に私はもしかして、と思っていたことを聞いた。「もしかして私の事が好きなの?」

その人は5分くらい絶句していた。そして「俺たち付き合ってたんじゃないの?」と聞いてきたので、付き合ってない、私は他にもこのような関係の人がいると言うと、また絶句した。

こんなに長い溜息聞いたことないってくらいの溜息の後、「お前は想像以上にばかだね、ばいばい」(のようなこと)って言われて、それきり。

その頃の私は、その人がそんなに悲しむなら、その人と付き合ってあげた方がいいんじゃないかと思う、歪な思考しかできなかったし、それを言おうと電話したけどその人はもう出なかった。今ならわかる。本当にばかだった。自尊心が低すぎる。

それ以降の私は、付き合うか付き合わないのかの言葉での確認をするようになった。

ばかが少し進化して立場確認をするようになった。けれど私の人生で後にも先にも、あのように私を大切にした人はいない。(その人とのその後がないから、良い思い出しかないからかもしれない)私は十数年越しに、その人の存在に救われている。

私の事を大切にするという気持ちがあると、(相手は、私は、)こうなる、っていうことを教えてくれた。

これからの人生計画の途中で、私は何度も挫けると思う。その時には、恋愛感情とは違うけど、その人にもらった時間を思い出し、自尊心とは何だったかを思い出したり、保ち続ける努力をしようと思う。

背中がぴんとする。

もしも、老婆になったころ、まだこのことを覚えていたらと思うと少し笑える。

 

 

 

手帳とノートと同級生と先生 2

(つづき)

 

Iは5年制学校、Aはスーパー超進学校、K、Sは超進学校に進む精鋭だった。

当時のこの4人を思い出してこれを書いているけど、中学生とは思えない懐の深さ、人間性だ。自分で精いっぱいでおかしくないのに、「人に教えてると自分の復習になるんだよ」と言って私が「本当にわかる」まで教えてくれた。

主に数学と化学を教えてもらった。英語はあまりにも時間に余裕がなく、文法は無視、単語を覚えることを課せられた。

自習時間は4人に支えられ、放課後は先生に支えられた。

私が少しできるようになると、みんなが喜んでくれた。それは私にとって不思議な経験で、知らない感情だった。できなかった時には感じなかった、恥ずかしい気持ちになった。だけど嬉しくもなった。この時、Eのことを思い出していた。Eと同じ中学校に行ってたら、私は中学校でも数学を楽しんだかもしれない。もしかしたら進学校を目指すような中学生になってたかもしれない。

だけど、違う中学校に行っていたら、この4人とは出会えてなかったんだ。

 

4人のノートはみんなそれぞれ書き方が違っていた。

それに気づいたのは、プリント問題をしている時に、教科書や過去のノートを参照にして教えてもらっている時だ。

「明日1学期の時のノート持ってきてくれる?」と言われて「持ってない」と言った私に、みんなが自分のノートを持ってきて見せてくれた。

私は先生の書いた黒板の文字をそっくりそのまま写していたけど、4人はそんなことしてなかった。ノートを縦に2分割、3分割に線を引き、矢印や○、四角で文字を並べ、教科書に載ってる部分の板書はしておらず、P○○参照、と書いてあるだけで、あとは黒板を見ている限り、無かったはずの文章や式がそこにはあり、私が5色くらい駆使してカラフルに仕上げたノートとは違い、4人全員2色しか(黒、赤)使ってなかった。

Iにいたっては、全部黒ボールペンで書いている日、全部赤いボールペンで書いている日があった。シャープペンシルが「消すのが面倒」という理由で使いたくないそうだ。間違った時は線で消すと言っていた。そしてボールペンばかりにしてから、間違える事が減ったとも言っていた。そんなことってあるの、、と私はカルチャーショックを受けていたけど、Sが「なるほどそうだよね」と頷いていたのを見て更に驚いたのを覚えている。AとKは「本当は蛍光ペンも使いたいけど、結局どこも重要だから、意味ないと思った」と言う理由で、蛍光ペン引きまくりは主流だった時代に黒、赤のアンダーラインのみ(しかも極稀)のシンプルなノートだった。(文章を四角や丸で囲んで矢印で引っ張り補足?応用?みたいのをよく書いてあった)

 

Eが消しゴムをあんなにたくさん仕舞いこんでいた理由がわかった気がした。

私はEのノートを見ることはなかったけど、きっとEも消したり消さなかったりしてノートを工夫(自分にとって合理的になるように)してたんだ。

それに、物がほとんどなかったあの部屋で、Eの楽しみは使わない消しゴムを見ることだったのかもしれない。きっとEの趣味だった。

小学生の女の子は、誕生会などをすると、プレゼントに可愛い文房具を選ぶ。そうして増えていく使わない消しゴムが、Eにとっては面白かったのかもしれない。私の消しゴムは、いつのまにか消えていたので、消えると新しい消しゴムを買ってもらえるので、消しゴムは消えるものだった。私は貧困の中で、貧相な満足を得るため、物との向き合い方を間違えて覚えていた。(大人になって鬱になって治療の途中で気づき、だいぶよくなった)

 

EのこともIAKSのことも記憶が強烈で、長い時間に感じるけど、実際はたぶん数週間の出来事だ。その数週間が、今の私に伝えてくれることがたくさんある。

助けてくれることだってある。大人になってメモの取り方が変わった。

私は昔、手帳は先の予定を書くものだと思っていた。間違ってないけど、今の私にとってそれは重要ではない。必要な使い方は違った。

「過去、いつ何をしたか」「問題が起きた、どのような問題か、どのように解決したか」それらを思い出すために書く。イレギュラーなトラブルほど、細かく書く。何度も経験できない事は覚えておけないから(ただでさえ記憶力低い)自分が疑問に思ったことも対処法もすべて書くようになった。

そして似たような問題が起きた時、それを見て確認するようになった。過去に疑問に思ったことは今の自分も同じ疑問で躓いていた。過去の自分が書いてくれた対処法が

今の自分を助けてくれる。そしてその方法を教えてくれたのは中3の時の4人だ。

過去のノートを取っておく、定着するまで、確認できるように、処分しない。

私以外の人にとっては当たり前のことかもしれない。でも私にとってはそうじゃなかった。そして当たり前にするところまでできた。

もうだいぶ大人なので、ものすごく出遅れてる感がある。だけど、あの時みたいに恥ずかしい気持ちにはならない。

正しく振り返ることができれば、思い出は今でも助けてくれる。

 

(終わり)

手帳とノートと同級生と先生 1

私はノートの使い方が下手な子供だった。

それは今振り返ればなんだけど、、当時はきれいに書けている自分のノートが好きだった。先生の板書通りの並び、色分け、図形、すべてをきっちりと写していた。

一学期二学期、新しい年度、その度に新しいノートを用意するよう言われ、新しいノートを用意し、繰り返し板書を丁寧に写していた。

ノートを最後まで使い切ったことなど一度もなかった。いつも三分の一くらいページが余る。その余ったページには何も書くことなく放置、いつのまにかどこかに消えてく。(自分で処分した記憶がないので、どこかで失くしてるか家族に捨てられているかだろう)

私はノートが新しくなるのが嬉しかった。文房具だけは買ってもらえたからだ。新しい物を持てる、それが嬉しかった。三分の一余ったノートのことなんてすぐに忘れて、つい先日まで使っていたものなのに、もう二度と使うことはないと思っていたし、実際にそうだった。

小学生の時はそれで「よくできました」がもらえていた。私は小学校を高学年で転校しているのだけど、転校前も転校後も「よくできました」だったけど、テストで100点はおろか70点以上を取ったことは一度もなかった。

6年生の時に衝撃の出会いをした。

私より数か月あとに転校してきたEという女の子。明るくて清潔で上品でピアノを習っていた。すごくお金持ちの家の子なんだろうなと勝手に思っていた。

私の隣の席になったことでEと仲良くなった。小学生は仲良くなるとすぐに家に遊びに行く生き物で、私はEの家に何度か遊びに行った。Eの家は団地だった。

「お金持ちじゃないのにピアノを習っている、、!」と驚いたのを覚えている。Eには一人部屋が与えられていて、いつ突然行っても整理整頓されていた。物が少なく、女の子が好きそうなぬいぐるみなどは一つもなかった。赤いランドセルと、机の上にある組み立て式の紙製の小さな三段引出が唯一女の子っぽかった。

その引出には見覚えがあって、月刊誌りぼんの付録だった。しかも随分と前の号の付録で、その部屋には浮いて見えた。何より、私は過去に同じものを作ったけど、こんな風にはならなかった、もっとぶかぶかでスカスカで引出がうまく引いたり押したりできない状態だった。何も仕舞うことなくいつのまにかどこかに消えていった。

Eはその引出を「とても気に入っている」と言った。何を仕舞っているのか聞いたら、開けて見せてくれた。上段、消しゴム。中段、消しゴム。下段、消しゴム。全段消しゴム。消しゴムボックス。

使いかけの消しゴム、新品の消しゴム、香り付の消しゴムにグループ分けされていて、とてもきれいだった。私はそれまで消しゴムがきれいだなんて一度も思ったことがない。あの時は何がそう思わせるのかわからなかったけど、今なら簡単にわかる。

同じものが同じ場所に整理整頓された状態がきれいだったのだ。

Eは勉強がすごくできた。6年生の算数はEから習ったようなものだった。Eから算数の話を聞くのが好きだった。問題の意味や解き方を教わっているうちに、私は算数で90点を取った。人生最初で最後の90点だった。

Eとは中学校が別れて、私はその後数学で90点を取ることはなかった。

中学3年、推薦入試を失敗した私は、一般入試に向けて勉強をするわけだけど、その時助けてくれたのは先生の他に4人の同級生がいた。

その4人は、近い席、同じ班、ただそれだけの縁で私の世話をするはめになった。Eと別れた中学生の私は、その後また、ただ板書を丁寧に写す人に戻っていたので、ノートはきれいだったが、学習脳は腐っていた。どの教科も50点くらいでぼ~っとしていた。推薦入試が失敗した今、一般入試で点数取れるような脳みそをしていなかった。私本人は勿論だけど、担任の先生はもっと焦ったと思う。同じ受験生である同級生に私の世話係を任命したのだから。よっぽどの事態だ。4人の同級生は誰も嫌な顔せず、引き受けてくれた。推薦を落ちた私を励ましてさえくれた。自分だってこれから入試控えてるのに。基本的に3年3学期は自習が多いので、配られたプリントをこなしながら、各自好きな学習をする。私は「わからなくなったら聞いて」と言われていたので、プリントが配られて10分後には聞いていた。まずは隣の席のIに聞いた。Iは「どこがわからない?」と言うので「問1がわからない」と答えた。

Iの手元にあるプリントは終盤にかかろうとしていた。Iはしばらく考え込んで、「大丈夫か?いや大丈夫じゃない、これはまずい、絶対やばい」みたいなことを言って、Iの後ろを振り返ってAに言った。「机をつけるぞ」

Aは「え?」という顔をしたが私の白紙のプリントを見て「!?」みたいな顔になって、Aの隣のKも「ひぇ!?」となってKの前の席の寝ていたSの背中をバンバン叩いて起こし、給食時間のように机をくっつけて会議が始まった。ちなみにA、K、Sはプリントはとっくに終わり、学校のじゃない問題集をやっていた。

(つづく)

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。