思い出したら楽しいこともあったんだ
先日、地震がありました。
もう2か月が経ちました。色々あったり、色々思ったことも、今思っていることもあるんだけど、今日はその話はしたい気分ではないので、今日書きたいなと思ってる事をらくがきします。
CharaやJudy and Maryやcoccoや椎名林檎を聴いて青春を過ごしました。今でいうとメンヘラクソサブカル女街道なのかもしれませんが、多分それは半分会ってて半分違ったと思います。
高校生の時、数人の友達とカラオケに行けば、小室ファミリー全曲、誰かがともちゃんを歌えば誰かがglobを歌って、突然高橋真理子のforyou…を誰かが歌い、それにつられてなのかアンルイスのwomenを熱唱する物凄い歌唱力のある友人。うますぎて爆笑する数人。
うますぎた友人をひとしきり笑った後、ここぞとばかりに魂のルフランをぶちこむ友人。これも舞台かってくらいうまくて転げまわる数人。ルフランてなんだよが止まらない。
私は焼け野が原を歌って、次にさっきはいとしさと切なさと心強さを歌ってた友人が、強く儚い者たちを歌う。
その後ら~ぶら~ぶあいを叫んで、ら~ら~ららら~あなたにあいたくて、柔らかな風が吹くこの場所で、たった一人の戦いを誇りに思って、時に愛は二人を試して、ただ涙拭く木綿のハンカチーフを欲しがって、松本に相談しようとして冷やかされるからやめて、それでもいいと慰めていたそれでも恋は恋ってことになって、何故かしょんぼりしだす友人がいて終いには泣き出すから「これはしゃーないこれはもうあれだ、合コンしかない」ってなって来週の合コンのセッティングをその場でして、そろそろカラオケ終わりの時間のコールがなって、別の友人が最後に1曲歌うって言うから皆帰る準備しながら聞いてたら春の木漏れ日の中で君の優しさに埋もれていた僕は弱虫だったんだよねって言い出したからリモコンで強制終了して会計レジに向かう。という一日を思い出した。
あの頃は、好きな歌のジャンルが全然違っても友達だったし、
好きなジャンルで人の属性分けもなかったし(たぶん)
自分が知らない曲も友人が歌うことで覚えていったし(ただし友人節で)
親世代の歌もみんなそれぞれ結構知ってたし、なんていうか、音楽に関して、もっと楽しんでいて、共有していて、うまいとか下手とか場の空気とか全然関係なくて、歌いに来たから歌うぞみたいな感じだった。
私は、自分の知らない曲を友人から覚えることが多かった。そしてそれは良い曲ばかりだった。今でも好きだ。
いつものメンバーってあんまりなくて、なんでやねんという組み合わせで行く日もあった。カラオケで待ち合わせして着いたらお前誰っていう人間がいたり(高校の友達の中学の友達だった)そしてまた新しい曲を知る。楽しかった。
その頃のみんなが、今は、どんな歌を好きになっているのか、知りたいなぁと思う。
みんな、元気でいたら、嬉しいな。
今日、スーパーで買い物していたら、Lemonが流れていて、同い年くらいに見える知らない人が口ずさんでいた(口パクだったと思う)のを見て、色々なこと思い出した日でした。
fool
くだらない不平不満を言葉にすることが出来なくて苦しい。
面倒くさいとかうるさいとか、嫌だとか、シンプルで断定的な言葉を出せたら、きっとこんな風に苦しくはなってない。
でもそんなこと言っちゃだめだと思うから口にはできない。
解決しなきゃいけない問題が目の前にある時、スムーズに解決へ進めるように、感情を置き去りにして(一旦横に置いといて)淡々とこなす、という方法を選んできた。
それはブログでも以前書いたけど、「結果オーライで良しとしよう」という考え方を採用してからは、その途中にどんな恥ずかしい失敗をしても構わない、自分がどんなにおどおどして見えても、相手がどんなリアクションをとっても気にしない、という決まりを自分で作ってきた。
そうするとほとんどの事が解決したり進んだりして、結果に満足できた。
でも今、解決しなきゃいけない事に手を付ける前に、感情が膨れ上がって怒りに似た何かが体中に巡っていて、痺れる。
肌がピリピリする。
その感情をまず吐き出したい、という気持ちが強くて辛い。
たとえば「前にもらった書類、無くしたからまた同じように作って。大事なものだから早急にやっといて」と言われたら「わかりました」と言えてた。
でも今は「くそ面倒くさいし無くされた意味わかんないし悪びれも無いみたいですけど、わかりましたしにたい」と言いたい。
言えないけど。言えない事はないんだけど、言った後がもっと面倒くさいから言わない。だから消化するしかない。
いいにおいのアロマキャンドルが欲しい。パッケージされてるのに匂いが漏れ出てくるような海外製のアロマキャンドルでセロトニンを…
今はそういう事に使えるお金が無くて、たぶん、それもストレスなんだと思う。
これまでも散財してたわけでは無いけど、300円のアロマキャンドル1個買うのをためらうのは節制のやりすぎかもしれない。道端に生えてる花でも摘んでこようかな…
いやなんか、これは、心が貧しくなってる。
私は、こんなことになるために頑張ってきたんじゃない。落ち着こう。
この季節雨のせいで道端に花はもうない、諦めろ、落ち着け、大丈夫、なんとかなるだいじょうぶ、なんとかしかならない、よし寝よう。
目覚めの端、夢のさなかに印をつけた、また会えるように
白い長い紙の端を正方形になるように切り
鶴を折る
今年は一羽、大きめの鶴
今年もなにもない 来年もなにもない ずっとなにもない
何もない時間をそのまますとんと飲み込めるように練習した
随分大人になってしまった
やっと願いではなく 祈りでもなく 日常でもなく
傷を傷として、見せびらかしはしないけど
隠すこともしないで、いけたら、と
そうしたら、と
傍観者の内心でしかない
悲しい事がたくさんあった。
そのほとんどがこの画面の向こう側で起きていることで、私の私生活の表面的なものは何も起きていなかったように見える。
だけど実際にこの世界で起きていることで、私のこの場所から、地続きで現実の出来事だった。実感のないまま、世界は回る。私がいるこの場所も、画面の向こう側も、どちらも変わらず世界の一部だ。
自分が無力を感じすぎると、無力の力に覆い尽くされて、奪われて、強靭な無力に同化してしまう。
だから私は無力を感じないようにしている。意識的に感じないようにしている。
数年のメタ認知を経て、できるようになってきている。
私の日々や努力をないがしろにしてきた人物を張り倒すくらいのことなら、今は容易い。
私の思いや人情に付け込んで、搾取し続けた「常識人」の戯言は素手で掴んで潰せる。
それくらいには力を取り戻した。
正しさなんてわからない。私は正しい事をするためだけに生きて無い。
生まれたから死ぬまで生きてみる。その間に、良いことも悪いことも起きる。
自分でどうにかできることもあるし、できないこともある。多分、悪い事のほとんどが、自分にどうにかできることじゃないと思ってる。
悪いことだらけの悲しいだけの人生を送りたいと望んでる人なんて、稀有だ。
もしかしたら間違ったのかもしれない、もしかしたら努力しなかったのかもしれない、怠ったのかもしれない、フォローしなかったのかもしれない、頼れる人がいなかっただけかもしれない、知らなかったのかもしれない、信じていたのかもしれない、裏切られたのかもしれない、能力がなかったのかもしれない、かもしれないがいくらでも湧き出るほどに、理由なんて後からいくつも生まれる。
だからといって、私は悪いことだらけの人生は嫌だ。
嫌な事、悪い事、悲しい事が起きた時に、「それには意味や理由があるんだよ」みたいに、良いことに考えるよう捻じ曲げた解釈をするのはもっと嫌だ。死にたくなるくらい嫌だ。
だから、私は強くならなきゃいけない。自分だけの為に、自分だけがわかる分だけ、強くならなきゃいけない。
嫌なこと、悪いこと、悲しいことが起きた時に、それをそのまま受け入れて、怒ったり泣いたりできるように、自分の感情をねじ伏せて笑う事がないように、無力にはならない。
私はHagexさんが好きだった。
私だった私と私になった私、だから何?
私の周り、記憶のねつ造がすごい。
自分の方が間違って覚えてるんじゃないかって自分を疑うほどにはすごい。
だけど私には保存してあるメールがあるので、やはり間違っていない。
時間が経って、気持ちの変化はあるでしょ、と言われれば、ある。
私の記憶の中にいる私が酷い行いをしたことも知っている。
だから何?という気持ちだ。
昔の私はこの「だから何?」が出来なかった。
それで自分をないがしろにした。
時間が経って、すべてを水に流せる日が来るというのはあるのかもしれない。
実際あるんだろう。
私にとって今はそうじゃない。それに私はすべて水に流すことはできない。
「そういうこともあったし忘れないよ」という確執を残したまま、新しい関係が築けたらとは思う。
怒る、憎む、というのはとてもエネルギーがいる。疲れるのだ。
本当はやめてしまいたいと思う日だってある。
その諦めた私は、前の自分のようにはならない、元に戻らないだろうとも思う。
都合よくサンドバッグにはならないし、聞き捨てならぬ暴言をかまされた時には突っ込む。倍返しかもしれない。
でも今はしたくない。
私は「友人」だと思っていた人と距離を取ることで、感情や体調が安定してきた。
今は理解者だけが絶妙な距離でいてくれる。とても、ちょうどよい。
先日、道端で知らない子供と知らない女性と話す機会があった。
その二人は他人で、子供が迷子だという。
泣いてる子供に何とか情報を聞き出そうと、女性はあの手この手で頑張っていた。
学校がわかったら、家までは帰れるかと聞いたら、かえれる!と言うので、その子供の学校まで一緒に行こうということになって(近所に学校はひとつしかない)、知らない3人で並んで歩いた。
10分もなかったと思う。その間他愛のない話をした。
さっきまで漆黒の闇の住人みたいな顔をしていた子供が、知ってる道に出た瞬間にわかった!赤!と言って遠くを指をさした。その方向にはマンションが並んでて、赤い物なんてないと思ったけど、「ほら!」と見ろと言うのでその子の背丈ほどにしゃがんで見たら、マンションとマンションの隙間に、弁当屋の赤い看板の上の方が少しだけ見えていた。私は本当だ、と言った。知らない女性も、ああーと感嘆した様子だった。
すごいね、いつもあの赤、目印にしてるの?と聞くと、「うん!」と言って、子供はぴょんぴょん飛び跳ねていた。
学校の窓口で事情を話し、その子供とはさよならをした。
知らない女性は、あ~良かった、じゃあ私はこれからバイト、こっちだから、と言ってお辞儀をして、私も、良かったですね、私は今来た道を戻ります、と言ってお辞儀をして別れた。
他人と話すのは実に数年ぶりで、とても新鮮だった。
今ここで書こうとするまで忘れていたけど、これくらいの人との関わりは丁度良い。
「人間関係」が面倒くさいんだな、と改めて思いました。
これから先出会う人には、今の私で良いんだなと心に落ちた一日でした。