職場で出会って友達になったけど最初からイトコ的な存在感だった
悲しい気持ちは絶賛継続中。
重症になってきている。涙が止まらないでいる。
これは感情の起伏で起こるものではないことを、私は知っている。
覚えがある。
うつ初期症状の頃、起きている時間はずっと泣いていて、疲れて意識朦朧となり眠りにつく。
それを1時間ごとに繰り返すか、2日眠り続けるか、というふり幅があった。
1日の決まった時間に決まった量の薬を飲むのだけど、それを怠ってはいけない、大変なことが起こる、という脅迫概念により、食事は摂らなくても薬は飲んでいた。
そういう生活を続けると、体重はみるみる落ち(当の本人にその自覚はない)
159㎝で37㎏、もはやゾンビ。
体の中に動くためのエネルギーが残っていないので、かろうじて動く姿もゾンビ。
思い込み、が強く、そのルールを守らないと大変なことが起こる、これ以上は迷惑かけてはいけない、守らなくては!という謎の信仰心めいた感情だけがリアルだった。
ちなみに正しいのは、
食後に飲む薬を食後に飲んで、
就寝前の薬を就寝前に飲んで、
不安時に飲む薬は不安なときに飲んで
(1日2錠までね、と言われていたが、不安時が5回もあった時はどうしていいかわからなかった・2錠しか飲んじゃだめだから)
ただそれだけのことだった。
私は食事がのどを通らなかったので、珈琲を食事とすることにした。
インスタントアイスコーヒーで薬を飲む。
食事完了と同時に服用完了。
でもそれを主治医に話すことはなかった。
「食事摂れていますか?」と聞かれたら「食べてます」と答えていた。
怒られる(指導される)と思っているから嘘をつく。
友達にも「食べてるかい?もっと食べなきゃだめだよ!」と言われると
「食べてるよ、身にならないんだよね」と答えていた。
私はこの数年後に摂食障害というものを知るわけなんだけど、
「食べられない」=「悪い事」=「怒られる」という思考から
落ち着く答えが「食べられない私が悪い。みんなに言わせてる私が悪い。ごめんなさい」というものだった。
そんなおり、4年に1度くらいしか会わない友人が来て、チョコレートプリンを差し入れに持ってきてくれた。
そういえば、その友人は私のガリ痩せには何も言わなかった。
久しぶりに口にしたコーヒー以外のもので受け付けられた、というかもう凄くおいしく感じた。
「おいしい!」と言った私に、その子は言った。
「ご飯なんてそれでいいんだよ」「毎日それでいいんだよ」「ゼリーでもいいよ」
そう教えてくれた。
目から鱗だった。物凄い衝撃を受けた。
だって「ご飯」と言えば、、(割愛
私は元々思い込みが激しい。
その友人に感謝してる。
今私は44㎏になれてる。私の思う「ご飯」も食べられるようになってきてる。
4年以上会ってない。
今年は会いたいかな、、どうかな、、会えたらいいな。
元気かな?
私は今、泣いてるよ。
あの時と同じ状況だよ。
でもやり過ごすすべは覚えてるよ。
コーヒーゼリーを食べるよ。