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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

いびつな受動態で他人と関わってて見えてきた希望

いつか変わるかもしれない。

だから書いておこうと思う。

 

今日私がどんなデザインの何色の洋服を着ていようが、対面した人には関係ないので意見しないでほしい。

それと同じくらい、対面した人の服装に興味ないので意見や感想を求めないでほしい。

 

 でも何となくわかる。話のきっかけとして便利なのかもしれない。

 私は対話を望んでいないので、特別鬱陶しく感じてるだけで、普通は簡単なコミュニケーションのひとつに過ぎないんだ。

 

自分が出来ない事のボーダーに使わないでほしい。

「ちえねつは○○出来ていいよね。」

浅はかな人生の中で何度か言われた言葉。

人数は多くいないけど、一度この言葉を口にする人はその後何度も言うようになる。

その人たちは大抵、○○以外の事は私より出来るし、何より○○なんか出来なくても困らない。

歪な解釈は自分の年輪とともに増えていく。

対話の先に見える(と思い込んでいる、或いは事実)私を褒めるふりをして、出来ない自分を許してほしいという、私以外の第三者に対する訴え。

 

これはきっと悪い事じゃない。その人たちの自己防衛手段であり、必要なことなんだろうと思う。

ただ私には理解できない思考で感情だってこと。それだけのこと。

私は、自分と他者の何かしらを比較して優越をつけるということが苦手だ。

平和主義とは違うと思う。理由も原因もまだ見つからない。でも「ちえねつより○○出来る」と言われるのは全然平気。

その先に問題がある。私は他人を褒めるのが苦手らしい。口に出して褒めることができない。いや努力したらきっとできる。いやいやその努力をしたくない。

 コミュニケーション不成立。

 

 けどそれでいい。と思うようになった。気分爽快!

 

そしていびつな受動態で他人と関わって見えてきた希望っていうのが、これからの残りの人生、どれだけ他人と関わらずに生きていけるか、そう生きていきたいっていうこと。

今まで、人間ひとりでは生きていけない、という類の定説が私を縛っていた事なんじゃないかって思った。もっともなんだけど、、、だからそうしなくてはいけない、に変換して考えてきたような気がする。

きちんと関わっていかないといけないんだよって自分に脅迫されてた感じ。

 

 それを放棄します(実際には不可能)という思い。気分爽快!

 

ブログを読むのが好きな理由もわかった。ほぼ一方通行だからだ。

ブログを管理する人は発信者で、それを読む私は受信者だ。発信されたものを読むだけ。順番があっていい。少なくとも私には本当に丁度いい。

発信者に対して受信者が何らかのアクションを起こさなければ、コミュニケーション成立にはならないかもしれない。でも調子の良いことに、私は受信者で、それを読んで楽しかったり、共感したり、知恵を貰ったりしている。

充ちている。

 

ある人が見れば愚かしい考えかもしれないけど、私は私を認めてあげようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。