残り全部の命
自分の中で時間の概念が薄いなと感じることがあります。
もしかしたら、腕時計をしなくなったからかもしれません。
けいたいでんわを、皆が持つようになった頃、私も持つようになりました。その頃から腕時計をし忘れても時間の確認に困ることが無くなった気がします。
その頃は時間を把握する必要がありすぎました。
今の私にはできないことを、当時の私はできていました。
今の私が30日くらいかかるような用事を、当時の私は1日か2日で終わらせていました。
せっかちだったとも思います。
出来なくなった頃を思い出すと、自分が「完全停止」状態になる前、何度もその予兆がありました。私はうつ病を心の問題で気持ちや考え方の甘えだと考えていた人間なので、自分がうつ病になってしばらく経つまで、うつ病が身体にも異常をもたらす病気だと知りませんでした。
だから身体に異変が現れ、予兆が何度も起き、「休まないとこれ以上は危険だよ」という自分の脳からの指令にすら気付けなかった。どんなに忙しくてもどんなに辛いことがあっても、自分にとって気休めとなるものがあったり、その気休めの存在を知っていたり、それが些細なことでもどれほど重要かを知っていれば違ったのかもしれないなと思います。
今となっては、です。
それに、重要さを知っていたとしても大切にしていたかは(気休めを優先できたかは)わからない。うん、できなかったと思う。私は病気になって初めて、たくさんのことを考えるようになって、理解できるようになって、受け入れられるようになったから。
うつ病になってなかったら、知らなかったことがもっとあったかもしれない。
なる前の自分には友達がたくさんいて、毎日忙しく楽しく過ごせていたけれど、そのままの自分が今の自分になってたら、、、と考えると少し怖い。
たとえ話。
病気になってない自分が、病気になった友達にアドバイスとかしてそうで怖い。
「気合入れろよ」とか「怠けるな」とか「なんでそんなに眠いのか」とかとか、言ってしまいそう。恐ろしいよ、うつ病じゃない自分。
だから、今の自分になれて良かった、と思える。
私は、残り全部の命を使って、死ぬまで生きます。
このブログが今日で1年経ちました。昨日始めた気分。
BGM
tacica/DAN