学校に行くのは君の権利
学校には行かなくて良い。
行った方が得るものが多いから、通うことにメリットはたくさんある。
だけどもし、今、デメリットの方が多いと感じるなら、行かなくていい。
学生が学校に通って学ぶのは、学生が学ぶ権利を持っているから。
その権利を、自分の責任の元、いかように行使していい。
体調が悪いのに、無理していっても学ぶには無理がある。
学びたいのなら、まずは体調を整えることを優先した方がいい。
体調を整えること自体が難しい環境ならば、体調を整えることを得意とする人に相談すると言い。
今、勉強はどこにいてもできる時代になった。無料動画で面白い授業がたくさん観られる。
人間関係で悩みがあれば、その悩みを一度放棄する自由が君にはある。
対人関係においては、悩みの原因は自分一人のせいではない事が多いから、自分一人が悩んでも無駄になることがある。
自分だけではどうしようもできない悩み、それが人間関係だ。
君の悩みは君のものだけど、その先にいる対人にとっては悩みではない可能性がある。
ひとりでは解決できない問題だ。それを、一旦、放棄すると見えてくる景色がある。
ひとつ開けた対人関係の枠に、新しい対人を入れることができる。
君の悩みを解決する人ではないけれど、君が悩みに使っている時間を、別の事に目を向けさせてくれる存在だ。
実際の人間の場合もある。本の中の物語の場合もある。手に取ったフリーペーパーの趣味の集まりの場合でもある。近くのカフェから見える景色の場合もある。
ラジオの中の声かもしれないし、飲み干したコップの底にある時だってある。
君に語りかける人がいる。自分の人生を、自分で決めていいとしっかりと思えれば、のんびりしていたっていつか出会う。
君の話を聞いてくれる人はあちこちにいる。
君を守るのではなく、君の自立を見守り支えてくれる人がいる。
普通に優しい人はいるよ。対等だよ。君の悩みの種の人たちがするようなことは絶対にしないよ。だって実はそれが、特別でもなんでもない普通の優しさだから。
堂々と泣いていい。ひとりではもうどうしようもできない、そう思ったなら、一番に考えてほしいことがあるよ。
誰よりも自分を優先して、どんな人よりも自分に優しくして、それが難しかったら、自分の大切な人が困っていたらするみたいに、自分を他人にして考えてみてほしい。
目の前の自分の大切な人が困ったり悲しかったり、辛かったりするって、話してくれたら、君はどうするだろう。なんて声をかけるだろう。
私には、子供がいて、学校に行きたくないという時がある。(たまにだけど)
聞くことは「具合が悪いのか、そうではないのか」だけで、学校に欠席の連絡を入れる。学校には「具合が悪い」と伝えるけれど、実際は別に体調は悪くない事の方が多い。
「ただ今日は行きたくない日」なだけ。
そんな日は1時間くらい自宅学習して、あとはのんびり何かしてる。話したい事がある時は聞いてる。私も聞きたいことがあると聞く。
次の日は普通に学校に行く。何事もなかったかのようにまた通い出す。
私は、辛いことと向き合うだけが全てじゃないと思っているから、スルーして放棄したっていいと思ってるから、とにかく気楽に人生を楽しんでほしいから、子供が生きていることが一番大事だから、他の事はどうでもいいんだ。
ただ人生って思ったより長いから、必要な学習や努力からなるスキルが必要になってくる。それを、どんな事でも方法でもいいから、見つけて、手に入れてほしいなと思ってる。
そのままでいられる人なんていないから(成長しちゃう、身体も心も考え方も)
もがいた挙句の果てに見つかる居場所があるよと伝えたい。
きっとそこには、なんにも時別じゃない普通の優しさがあるよ。
少しだけ、話すことが悔しくても恥ずかしくても、茶化さないで聞いてくれる人がいて場所があるよ。探してみてね。
季節の狭間で、私が勝手に、カウンセラーを感じてしまう仕事をする人
漠然とした不安と、まだしてもいない作業に疲労を感じている。
瞬間的にイライラしたりして、わかりやすい情緒不安定になってる。
夕食の準備中に突然吐き気がして横になったりする。
そのようなことを、担当医には言えない。
「どうですか」と聞かれて「変わりありません」と答える。
時々、変わりありませんというと怒られる時があるけど、(変わりないってどういうこと?どういう意味?って)それに答えても、なんかわかんないけど説教されるので、はい、はい、と聞くようにしている。
私は一度、担当医にぼろくそ怒鳴られて泣かされたことがある。
なぜあんなに怒鳴ることになってしまったのか、私にはわからないけど、とにかく怒ってたなぁという記憶だけがある。あれ?今思い出したけど、一度じゃない、二度だ。
一度目のは私が勝手に断薬した時で、怒鳴りつける必要性は感じないけど怒鳴りたくなる気持ちはわかる…。治りたくないのか!という思いになる気がする。
それで二度目の時のは本当に思い出せない。
うっすらと、「そんな、理不尽な…」って思ったような気がする。
そんな経験があって、私は担当医に本当の事を話せなくなった。何か聞かれれば答えるし、聞かれなければ黙っている。提案をされたら「できる、できない」を答えるが、「今はできそうもない」と素直に答えると、「そんなんじゃいつまでたってもできないよ」と軽くキレられる。そして「じゃあ頑張ってみます…」と言おうとすると
「はい、じゃあまた来月ね」と言って席を立つよう促される。
そして私は席を立ち薬局へ向かう。
処方された薬を待っている間、時々、無になる。
少しざわついている薬局の片隅で、無になっている。
名前を呼ばれて、薬剤師さんから薬の確認と説明を受ける。
薬剤師さんがお変わりはありませんか?体調はどうですか?薬で困ったことはありませんか?と尋ねてくる。
最近の症状を少し話すと、ああ、それは日常生活に支障出ていますか?少し休めば回復しますか?と聞いてくる。はい、休めば回復します、と答える。
それなら良かったです、とふんわりとした笑顔で薬を渡してくれる。そして、あまりその状態が続くようなら担当医に相談してくださいね、と言われ、私は苦笑いをするんだった。
□.
夢から覚めたらあの日からやり直しだった。
そんなことが起きたら私はどういう人生を始めるだろう。
たくさんやりたいことが思いつく。
本当に好きな靴を履く。
一番気に入ったコートを着る。
ずっと使いたいと思える鞄を肩にかける。
自分がしたいと思った髪型にして、歩く。
ばかみたいだけど、難しかった。経済的にも、性格的にも。
経済的に難しいのは今もそんなに変わらないけど…
性格や考え方は変わった。これからならできると思う。
私はこれから二年をかけて、たくさんのものを捨てる。
去る二年では人間関係を整理してきた(いや、された、というべきか)
この人間関係が去った後、うつ(私の正式な診断病名はうつではないけど)の症状が大きく改善した。私は人と接することで、自分の器量オーバーになっていたんだと思う。
元気になってほしい、笑ってほしい、頑張れるようになってほしい、前みたいに一緒に遊びに行きたい、そういう風に私と関わってくれた人全員と離れることで、私は自分を取り戻し始めた。
改善されてきたから、その人間関係を復活させたいかというと、ノーで、私はこれから先の二年で新しくなる。新しくなる、というのは変な言い回しだけど、本当にそんなふうに感じる。
大人になってから、勉強したいと思う日が来るなんて、あの日の自分は信じないと思う。でもそんなことがあったよ。時間ってすごいね。
何者にもなりたくない。特別なことは何もしたくない。されたくない。かき消されるまでもない雑踏の隅で、逃げ水。
誰にも気にされないで埋没したい。散歩がしたい。時々美味しいジンジャーエールを飲みたい。ポテトサラダとマッシュポテトを作り置きしたい。
ジップロックが欲しい。本を借りたい。図書館に行きたい。借りた本を返したい。
うたを聴きたい。絵を見たい。心が動いたら、泣いたりしたい。笑ったりもしたい。
全部、一人でやりたい。
私は、ひとりで生きてみたい。
I do not wish you die
死なないでほしい、と言いたいけど、私のお願いで生きるのは心もとないのではないかと思った。
たとえば、私がそういう感情に支配されている時、誰かのお願いで「はいわかりました」と思えるだろうか。誰かが悲しむからやめよう、という、自分以外の他人の気持ちや立場を重んじて感情を鎮めるだろうか。
それができているのなら、おそらく投薬はしていない。
感情と言ったけど、この生物的な本能を無視して発生する死への思いは、感情というものから、かなりかけ離れた場所にあるものなんだろうと考えている。単なる脳のバグ。仮に感情だとして、かけ離れすぎてぐるっと回って隣り合わせにもなる、生への思いでもある。エモい。
生きたいように生きれていない、でもその状態で生きなければならないジレンマが、プラスとマイナスの帳尻が合うように思考させる。
生きている以上死は隣にある。常に寄り添っている。近年、私たちはあまり死ななくなった。だからかもしれないけど、そんな時代に死なないように、生き抜くことにプレッシャーを感じている。僅かな自尊心が何かを削ったり救ったりしながら、生き抜こうと懸命だ。
もう少し、シンプルな時代だったらな、、と思うことはあるけど、それはそれで物騒だった世間も思い出されるので、今の時代の方が良いと思える。私はこの時代が好きだ。
私は、過去や未来に、親や学校や病気に、知り合った善人や悪人に、あちこちに思いを馳せて感情の正体を探す。生まれてしまった感情の元を摘みたいとでも言うのか、とにかくああだったらこうなのか、こうならああなるのか、言ったのか言われたのかとか、もしもやたらればを気の済むまで繰り返す。
いつもの時間に薬を飲む。いつもの時間に眠る(たぶん)。
いつも同じ時間に起きるように(目が覚める)なった。そして始まる、いつもの朝に
「私はあなたが死ぬことを望んでない」と思う。
強く思ってる。
こころがうごく
良い方向へも悪い方向へも、こころが動くというのはすごいことだなと思う。
無味無臭の頃の自分に比べたら、本当にすごいことだ。
そしてこころが動くというのは非常に面倒くさくて邪魔くさいものだとも感じている。
人であり人らしいというのはそういうことなんだろうな。
今月は、やることがたくさんあって、書類を書いたり、出かけたり(私にとってはかなりの距離の移動)、話したりしなくちゃで、慌ただしい。でも出来ている。まだ途中だけど。
その都度しっかりと、「私は今疲れている」と確認というか暗示かけるに近いことをしている。そうしないと、気持ちが高ぶって勢いに任せて無理をしてしまうからだ。
今日は二つの予定を完了させる、そう決めて家を出たのに、テンションが上がってしまって余計なこともしてしまい、あれもこれもついでにやってしまおうとなると、私は帰宅後干からびる。干からびると、翌日に控えた翌日分の予定ができなくなる。
寝込んでしまう。そして予定が先送りになって崩れていく。一日の高テンションの行いのせいで、その後がすっかりぐずぐずになって自己嫌悪に陥る。
自己嫌悪に陥ってるだけなら自分の問題で済む話なんだけど、相手があることだと最悪で、調整の為に連絡を取ったり、つまり、やることが増える。
それがまた私を追い詰める。過剰に落ち込んでしまう。
それでも、まあまあ、数年前に比べたら、できている方だとわかる。
昨日の自分と比べて、今日の失敗を引きずるより、去年一昨年の自分を思い出して、よくできるようになったよと諌めている。ましだよ、まあ大丈夫だよ、他人に声をかけるように自分を適当に励ます。
くだらない自分の中の会話は、けっこう役に立ってる。
私は、自分が思うよりも、悪くはないよ、まあいいやつだよと、適当に言う。
必要なのは定規や測量じゃなくてコンパス
私が恐れたのは、理解の無い他者から放たれる声ではなかった。
本当に恐れたのは、他者が放つ言葉の奥に、過去に自分自身が、他者に向けて放った声が聞こえたことだ。
自分自身が社会的弱者になる、そんなことを全く想定していない完全無敵の正論者ぶっていた頃がある。正論は美しい。間違いがない。それ以外は(理解できないから、理解するに値しないから)ゆるさない。(許す許さないの問題じゃないんだけど、なぜかこういう風に思っていた)
見えている世界が狭かった。様々な経験も少なかったはずなのだけど、なぜか当の本人は経験豊かで知識も豊富だと思い込んでいる。自分の努力や苦労や苦痛が全ての基準で、他人の努力や苦労や苦痛を計ろうとする。比べられるものなど何一つないのに。
この過去の自分は今でも恐ろしい。
だから今、今の自分にとって、どんなに理不尽な話を見聞きしたとしても、ダメージはほとんどない。ないわけではない。
見ず知らずの人に、ある種のグループにカテゴライズされた自分がいて、放たれる暴言の先にいる立場である時、微動だにしないわけじゃない。何か言いたくなる。だからこれを書いているのだけど、、。直接は言えないけど、、。(本当は言いたいことは何もない)
今はもう、多少落ち込むくらいで、次の日には忘れる。そういう感情のコントロールは数年かかってできるようになったし、諦めることで解決できると知った。
だけど、まだそれに慣れてない人にとっては、かなりダメージが大きいだろうことは想像できる。それが不憫だ。
自分の人生を生きて行こうとしたとき、決断をしたでしょう。
私はしました。「いつまで続くかわからない命を使い切るまでの生きる方法」
まずは目の前の問題もまともに理解・整理できなかった時、とりあえず生活を確保したでしょう。(それと時間差で人間関係も清算した、されたでしょう)
寝たきりで泣き続けたでしょう。責めて、悔いて、憤って、放心した。
だからって、自分に無関係の人を攻撃しなかったでしょ。関係ある人だけでしょ。
それにきっと、それだって心の中で。ノートの上で。悪夢の中で。
しばらく経つと、自分の生きる人生に、他人の苦労や苦痛は取り込んではいけない、そんなことを思って、比べることの無意味さを知った。思いやりを持てるようになれるのはもう少し後で。
私はわたしで、あなたでもきみでもない。あなたもあなたで、私でもきみでもない。
私とあなたは、比べるところが何もない。比べることは不可能。
私とあなたは違う人間だから、あるいは、人間だということだけが同じなだけだから。
消えてしまいたいと思う自分の人生を生きるために、必要なものだけを揃えて継続していこう。
他人の声を聞いて、傷ついたり憤る時は、深呼吸をして、自分の人生を生きることを考えよう。理解など求める行為は、寛解して10年経ってからでいい。
うつ病になったばかりの頃の私や君へ