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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

引っ越しの思い出(ジェンダーを考えた日)

あちこちで新生活や引っ越しの話が飛び交っていて、ああ、もう春なんだなぁと感じます。私が過去に経験した最悪な賃貸契約の話をします。

最初に、その時お世話になった不動産営業担当のMさん(女性)には大変お世話になったし、感謝しかないです。

私の最悪な体験は、悪質な大家によるものでした。

でも今になって考えてみると、大家は悪質だったんじゃなくて、バカだったんじゃないかと思います。バカすぎるし横柄で、責任能力低めな感じ。

今回のお話は言葉が荒くなります。なぜなら20歳そこそこの幼稚な私の経験だからです。恥ずかしいですね。

 

離婚をして、子供と生活するアパートを探しに近所の不動産に行きました。

そこで担当してくれたのがMさんです。終始親身になってくれて、トラブルが起きた時も誰よりも先に動いてくれました。

当時の私の仕事はWワークで、ひとつは昼間の、近所のレジのパート(8~17時、週5)

夜はバーでお酒を作ってました。(21~終電、週2くらい)

バーには色んなお客さんが来ていて、音楽が好きな人が多かった記憶があります。

そこのマスターがバンドをしていたので、自然とそうなったのかな。

そして私は、仕事は仕事だと思っていたので、この時はお客さんとお店以外で会うとは考えていなく、ただの飲み物作ってしょうもない話して大笑いする、楽しい時間を、お金を通して共有するだけの関係だと思っていました。

のちにそこの常連さんが私のピンチを救うべくお手伝いしてくれます。

 

Mさんの提案してくれた物件はどれも私が気に入るものでした。

住みたいエリアに制約があったので、いくつかの物件の中から、場所が良いということが決め手で、一つのアパートに決めました。

諸々の手続きを進め、契約も済み、鍵を渡され、Mさんに「本当にお世話になりました、ありがとうございました」と言いました。

Mさんは「こちらこそありがとうございました。ぜひまた機会があれば(引っ越しの)連絡くださいね」と言って、笑顔でお辞儀して見送ってくれました。

私は鍵を貰ったその日に、買って持ち歩いていたカーテンをつけに新居に向かいました。思ったよりいい感じに収まり嬉しかったことを覚えています。

次の日に引っ越し、荷物の搬入を友人に手伝ってもらいました。荷物が極端に少なかったので、朝から段ボールや布団を積み込んで始めた作業は、昼前には新居に収まりました。布団は、母が孫の為にオーダーメイドで作ったプーさんの綿布団(超新品)でした。

車を出して、荷物を運んでくれた友人が謝礼を頑なに受け取らないので、ちょうどお昼だしご飯をご馳走する!と言うとそれは喜んでくれたのでそうしました。

友人が引っ越しと言えば蕎麦だよね、と言うので蕎麦屋に決まり、友人は天ぷら蕎麦を食べて、私は力うどんを食べました。怒られました。私はうどんが好きすぎるので仕方ありません。

美味しかったねとご機嫌で新居に戻ったのは1時間経過した頃でした。

玄関のカギを開けると、足元に水が流れてきました。

慌てて中に入ると、部屋中が水浸しです。運び込んだもの全てが水浸しでした。

どこから水が?とあちこち水回りを中心に見回り、ふと何かが噴き出す音がすることに気づいた友人が、水回りのない寝室のドアを開けました。

広げた置いたプーさんの布団の上に、たくさんのコンクリートのような物が乗っていて、音はその真上からしていました。

天井の上を通る水道管が破裂して、コンクリートが破裂?して下に落ちてきたようでした。私たちはあまりの光景にしばらく呆然としていました。

そして、そうだ、Mさんに連絡しようと思い、電話を持って外に出ました。

電話口のMさんはビックリするくらい大きな声で「どういうことですか!?すぐに行きます!」と言って本当にすぐ来てくれました。

Mさんが到着する少し前に、謎の男が怒鳴りながら階段を上ってきて、私に怒鳴りつけました。「あんた何したんだ!あんた新しい人だろう!いったい何したんだ!下の階まで水が垂れてきてる!」すげえキレてたな…

私にもわかりません、今不動産に電話しました、すぐ来てくれるそうです、Mさんが来たら大家さんにも連絡します、状況が確認できたら必ず連絡します、お名前とご連絡先聞いていいですか、と低姿勢で言うと、その男は言いました。

「俺が大家だよ!!」

その声が響いて、私と友人の時が止まっていると、Mさんが到着し、開口一番、「怪我はしてませんか!?大丈夫ですか?」と私たちの方に駆け寄ってくれて、私たちは大丈夫ですと言うと「部屋の中見せてもらっていいですか」といって中に入って行きました。そのMさんの背中に向かって大家が「おい!○○○○!(不動産名)しっかり対応してもらうからな!」と叫んで下の階に降りて行きました。

Mさんは驚いて振り向いて、私たちに言いました。

「あの人誰ですか……?」

 

(つづく)

 

 

言葉にしないと伝わらないのは知っていたけど

私が何も言わないと、私は「何も考えていない人」として扱われるということを知った。知っていたと思ってたけど、改めて知った。

私が何をどのように考えているか、言うべき人には言っている。

誰に言うかは私が決めている。だけど、「相手」がそれを知っているとは限らない。

言うつもりのない相手に、私はあなたに私の考えを言うつもりはないです、という前提を伝えてないからだ。

かといって、無条件に人の考えを知ることができる、相手は必ず言う、という前提を持っている人と話すことに気味の悪さを感じた。

どうしてこの人は、自分が他人の考えを知りうることが可能だ、と思い込んでいるのか?どうして他人が「本音」を話してくれると信じて疑わないのか?

今まで何度も目にして耳にした、わたしにとってどうでもいいこと、を

10年分くらい投げつけられて、私はそれに何も応えなかったけど、答えなかったということは、何もない、異論はない、ということではなく、あなたに言うことは何もない、という意味もあったりする。

私が日常にある安堵を、幸せと感じるようになったこと、それが時々贅沢にすら感じること、できればこれ以上を望まず、これ以下も望まず、このままの状態を望んでいること(それを叶えていくのは私にとって決して簡単なことではない)、それを理解するつもりがない人に、「今のままではいけない」と「もっと、もっと”これ以上”を目指さないと駄目だ」と言われても、絶句である。

100円のハンバーガー食べたいと言っているのに、洒落オツな2000円くらいのハンバーガーを食べないと幸せになれないよ!と言われてる気分。

そんなわけねーだろ。

毒だなぁ

 

家の中にくちうるさいおばさんがいます

私にはわかることでも、私以外の人にはわからない、わかる場合がたまにある、ということを定期的に自分に言い聞かせないと、大失敗をする。(反対も然り)

大失敗をして傷ついたり恥をかいたりするのが自分ならマシなのだけど、相手を傷つけてしまったり、疲労困憊させてしまうのは本当によくない。

こどもと対峙する時、私は急かしてしまう。早く決断して行動した方がいい事を知っているから。でもそれは、私自身が失敗を繰り返してきて身に染みてわかったことだ。

失敗をしないとわからないことってあって、それって、実感というやつだと思う。

逆に言うと、失敗をしたらわかるってことで…

失敗をさせたくないから、こんなに急かしてしまったのだろうか?と考えてみたんだけど、しっくりこなくて、一週間くらい時間をかけてよく考えてみた。

「失敗して恥をかかせたくない」「失敗をして傷つかないでほしい」「傷ついたら立ち直るのに時間がかかってしまうかもしれない」そんなことだろうか?同じような場所をぐるぐると歩き回るように考えた。違う角度で見ればもっとしっくりくるかもしれない。

そして、私の中にある、こども(の出すべき決断や行動)を急かしてしまう理由がわかった。衝撃的なものだった。

「こどもが早く(解決、完了、行動)してくれれば」

「私がすっきりする」

私は自分がすっきりしたいがために子供を急かしていました。

とても反省している。私は子供をコントロールしようとしていた。求められた時の助言ではなく、率先して先回りしてああでもないこうでもないと余計なお世話を焼いていた。

失敗をして恥ずかしい思いをして、後悔をして変えようって思う事はあるし、必要だ。

失敗をして傷ついて、時間が経てば立ち直れる力が、子供には無いと思うのは、子供を信じてない。立ち直るためにはいくらでも協力するという私の意思を、日常の中で見せて行けば良いだけなのだ。

本当に自己嫌悪です。

気を付けて過ごしても、きっとまたぽろっと出てしまうと思う。

ぽろっと出そうになった瞬間に、飲み込めるように、練習します。

まずは、珍しく、美味しい何かが食べたいです。

何かが分からないんですが、何かこう…自分を慰めたいです。

 

あ、菓子パン食べたいです。ひくくらい甘いジャムぶち込んだむしろこれジャムじゃんみたいな菓子パン食べたい。

明日食べようと思います。

口煩いおばさんは、ただのジャムおばさんになるぞ。

 

すみっこでいきたい

先日、好きな音楽についての話を書いた。

そしてすぐに非公開にしてしまった。今までもいくつかそういう風にしまってしまった音楽がある。

言いたいのに、知られたくない。矛盾した気持ちをずっと持ってる。

減ってしまうと思ってしまう、、そういう気持ちに近いのかな。

私の一部を渡してしまうような気になる。

いつか、好きな音楽を通して話したり、話さなくても、この曲いいよねえなんて言って、誰かと同じ曲を聴いてみたい。

ような、みたくないような、、。やっぱりまだまだ私はそういう性分なんだな、仕方ない。

 

今日良いことがありました。

前回の記事で書いてたことなんですが、隙間時間を見つけては勝手に悔しいを思い出してウワーーーとなっていたのですが、その私が抱えていて解決しようとしていた問題を、肯定的にとらえてくれて、「大丈夫」「間違ってない、良く頑張った」と言ってくれた人がいました。

そしてその励ましてくれた人の言うとおり、私の問題は現実的に解決の方向に向かいました。私のやり方や説明でクリアできたのです。

とても清々しい気持ちになりました。ぐにゃぐにゃと蜷局を巻いて居座っていた「考えても仕方のない事」がしゅ~っと音を立てて溶けて消えていったようでした。

これから、まだ、今年来年は忙しいはずですが、私は自信をつけました。

着地地点を明確に決めれば、そこにたどり着くまでの方法は私のやり方でいい、大丈夫だ。自分でそう決めてから本当にそうなってきました。

こんなこと、もっと早く、笑えないくらいもっと早くに気づけていたら、私の人生の運びは違ったのだろうか。そんなこと考えたって戻らない。戻りたくて言ってるんじゃなくて、「気づいてたら違っただろうもう一つの人生」を想像してみたいだけ。

想像したら、やっぱり、今のこの状態になってないと、得られなかったものの存在が大きすぎて、後悔はほぼない。

ほぼない。

 

多少はある。

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白々しい善意のレースカーテン

透けて見える悪意の八つ当たり

どちらも地続きで同じ世界にある

整理整頓された美しさと

乱雑な美しさと

どれも変わらず同列に大切に思う

矛盾しない

矛盾しかない

丸か四角か多角形か万華鏡か

私のいる場所はずっと変わらないけど

時間はこの瞬間にも移動する

カレンダーなんかよりもっとずっと早く移動する

その物語の中で

いくつかの音楽が流れ続けていて

そんな言葉は一度も使わずに言ったんだった

「大丈夫だよ」

大丈夫だよなんて一度も歌ってないその歌は

私に何度も言った

「大丈夫じゃないけど大丈夫だよ」

 

本当に大丈夫だと思った

大丈夫じゃなかった10年前のあの日から

随分時間が経ったけど

私は大丈夫になったよ

これからも繰り返すよ、大丈夫じゃなくなっても、もう大丈夫だと知った

大丈夫になったこれからもずっと歌ってほしい

ありがとう ロストマン

 

自分の言いたいことだけ言うなら、それはお互い様の条件にしてほしい

私は今、不思議な気持ちでいる。

今、ひとつの感情に覆われていない。

 

今までは、ひとつの感情に覆われてる事が常だった。

「それ」は一日の始まり、起きた時にほぼ決まっていて、「気分がいい」「気分が良くも悪くもない」「気分が悪い」「ダメ・無」の4つのどれかだった。

そして私が望んでいて、調子が良いと思える始まりは、「気分が良くも悪くもない」の状態だった。大体気分が良くも悪くもない状態で一日を終え眠ることができる、その一日が幸せだった。

その繰り返しで歳を重ねて終わる日が迎えられたら…どんなに幸せだろうと思っている。

そんなことを考えて、ここでわざわざしたためてるということは、今はその状態ではないということです。

望むことは変わらないけど、状態が「ひとつの感情に覆われていない」でいます。

ここ数か月、私は忙しくしていました。

私が忙しく感じているだけです。私がしていることなど何かの片手間にひょいひょいとできる人がいることは知っています。

それを勝手に想像して勝手に落ち込んでいたのは随分前で、今は、用事や目標を達成した時には、自分のことを褒めて褒めて何なら声に出して、すごい、よくやった、と自分を認知するようになっています。これはとても効果がありました。

私は誰かに評価されるのではなく、比べられるのではなく、自分が自分を認めていくということが精神的にも体調的にも必要だったみたいです。逆を言えば、それは過去の自分にはとても難しかったため、時間がかかったのだと思います。

 

そして今日、今、私は感情の変化を経験しています。

朝起きてから、やらなければばらないことがあり、問い合わせたり(問い合わせ先が複数あり、大変だった)人と会ったり、説明したり、それが終わると行かなければならない事があったりと、盛りだくさんでした。

最後に行く場所の用事を終えて出る頃、私は悲しさと悔しさと怒りで身体がどうにかなりそうになりました。具体的に言うと、筋肉が過度に強張ったり、頭痛がしたり吐き気がしたりです。家に着くころにはお腹も痛くなりました。しかし飛び上がった心拍数は平常になっていました。

朝起きた時、私の状態は「無」でした。

帰宅してからの私は、負の感情の全てが悔しいに結合されていました。

そして時間が経つにつれて、フラットになり、悔しいは大人しくなり、反撃を考えるような時の感情に近いものになっていました。

反撃と言うのは暴力をふるったり誰かを傷つけたりするようなことではありません。

私が言われて(されて)嫌だったことを、”言った人”が言った、と言うことに対して、

その”言った人”が悔しがるような”私になろう”と思った、ということです。

そう考え始めた時、気持ちがふと軽くなって、心地よい状態になったのです。

私は決して”その人”の為に生きてるわけではありません。

私は私の為に生きているので(いくので)、自分にとって良いと思う事しかしません。

だから、簡単に言うと、頭を抑え込むような正論をぶつけてきた相手に、私の事を理解してもらう必要はないし、私の生活に責任を持てない相手のいう事は、ただのひとつの提案に過ぎず、私が受け入れる必要がない。

言われたことがあまりにも悔しいから、私は感情が漏れ出し、怯えたり震えてしまった。泣きそうになったり吐きそうになったり怒鳴りそうになったけど、どれもしなかった。私は、この人みたいになりたくない、そう思った。

事が起きている真っ最中に気づくのは初めての経験だったので(後で考えたら気づくのは結構ある)私は言われたことに答えを出すわけでもなくその場を離れたのだけど、その人との関係を終わりにするには、私が変わるしかないのだと強く思った。

そしてその変わる、というのは、今後の自分に良さそうなので、そうしていこうと思いながら、力になってくれそうな人の事を考えていました。

ひとりふたり浮かんで消えました。きっと、力にはなってくれるけど。

まずは一人でやってみようと思います。

それで駄目だったら、相談してみよう。

それでも駄目だったら、その時に、今度は違う場所に立って考えてみようと思う。

パニック起こして号泣しなかった今日の自分を振り返って、実感した。

私は自分が思うよりも、冷静さを取り戻してるのかもしれない。

これは嬉しいことだ。

明日の自分に過度な期待を持たないと言い聞かてから、寝ます。

 

my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。