読書・ターン
本を読み終えて巻末を確認した。
「ターン」 北村薫
平成12年7月1日 発行 とある。
西暦2000年の作品だ。
私は136頁と157頁のとある部分で、巻末を確認したくなった。「この物語はいつ作られたのだろう」という疑問が湧いて、それを解決したくなったから。
でもしなかった。私は読み終えるまで作品がいつ生まれたのかを知らないまま読み終えることにした。それを、知って、読み進めることは、物語の中の何かを(たとえば楽しみを)、失ってしまうと思った。
2017年の私は2000年の私のつもりで(文末)、新刊を手に取ったような気分で、読むことを選んだ。本を閉じるような簡単な動作で知ることができる情報を、私は得なかった。読後、それは正解だったような、嬉しいような恥ずかしいような、変な気持ちになった。
主人公は29歳の女性、真希。
私は主人公に一切感情移入をしなかったし、理解もしなかった。共感できる描写も一つしかなかった。自分と彼女の人生が違いすぎることと、自分と彼女の精神的支柱が(あるいはただの現実が)違い過ぎて、「なんて誠実な人なんだ」と感心ばかりした。
物語の舞台となる「世界」で、真希のたくさんの1日が描かれていく。
淡々と過ぎる1日はあまりにも淡々としていてターンターンという駄洒落なのかと思うほどだった。
私が共感したひとつがそれであるのだけど、淡々と同じ1日を過ごしていくこととは、多分こういうことで、条件さえ揃えば、こういう風にするのだろう、そう思った。
真希が「世界」に穴を開けられたのは、真希が版画家で、作品を世の中に出していたからだ。真希が版画家になれたのは、父親が魔法を見せていたからだ。私はそう思う。
真希という女性は、人付き合いに向いてなく、友人は多くないが、家族を含め、自分の周りにいる人をとても大切に思っている。そしてそばにいる人も、。
彼女の地味な今までの毎日の全てが、彼女を「世界」で生かした。
信じられないくらい「遠く」から「近く」に行く時、名も知らないルールも知らないゲームに参加して「一度だけだよ」、と言われたような気持ちになってしまう。
思いつく限りの思いを動きに変えて、彼女は歩く。走る。
転ぶ、立ち上がる。休む、歩く。だらける、挫ける、眠る、起きる、歩く。
彼女の作る版画作品も、彼女の行動力も、誠実さも、美しいと思った。
彼女は取り乱した時にも一貫性があり、冷静なところがある。それは常に自分以外の者と対話していたからかもしれないと思った。ひとはパニックになった時、自分一人で、状況を把握して問題点を理解して、原因を探して見つけて解決法を編み出し解決してパニックを終わらせることができるだろうか。無理だ。
彼女は常にひとりではなかった。
自分が大切に思う人を、どう大切に思うか、考える一冊になった。
私は、自分が大切に思う人を思うように、自分を大切にしていこうと思う。
数年後に、また読む。
_余談_
作中に、2017年への贈り物があった。
「空前絶後の」という一文にふふと声が出ました。
おそらく、この物語「ターン」を思い出すとき、私は間違いなくサンシャイン池崎さんのこともセットで思い出すでしょう。
_文末_
結果的に、読後の状態では、という意味。読んでいる最中は2000年を知らないでいる。