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大人になってからアダルトチルドレンを知って、わかったことや気付いたことと、これからのこと。

忘れそうになること

ボールペンで書かなきゃいけない時があって、時々書く文字列が、忘れそうで忘れないでいられるギリギリの記憶力、記憶力の問題かな?

お母さんとかお姉ちゃんとかで呼ばれてて、私、自分の名前忘れそうになります。

書類に書くのも、最近では子供の名前を書くことが多くて、保護者の欄に自分の名前を書くんだけど、間違って子供の名前書いてしまう。

それでもまあ、書くわけだけど、人生の中で何回も書いたはずの自分の名前が、どうも他人行儀に感じて、「これで合ってたかな」なんて思ったりもして、自分宛に届いた手紙なんかを確認してしまうこともある。

 

私が最後に下の名前で呼ばれたのはいつだったのかな、思い出せないくらいには前なんだろうな。

誰に呼ばれたんだろうな?まさかそれからしばらく呼ばれることはなくなるなんて思ってもみなかったから、ちゃんと聞いておけばよかったな、私の名前が、誰かの声で発音される音。

あ、先月、薬局で呼ばれた、そういえば月に一回呼ばれてる。

なるほど、これはとてもありがたいことだ。

 

進路指導の変更、誰のために、そして何のために

 

広島中3自殺、進路指導の変更が要因…第三者委 : ニュース : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

 

ずっと考えていた。昨日報道があった。何も戻らない。

けれど実証した側の大人は最大限稼働したように感じた。

 文中にあった「コミュニケーションの不足」とは、(指導者と生徒の)両者にあるような印象を受ける言葉だけど、私の感覚で言えば大人側の問題でしかない。両者の問題ではない、というのが私の感覚だ。

 

「問題が起きた時に、最善の選択をしようとする姿勢で、取り組む人」は存在する。実在する。

対人問題においても、正解不正解は別として、対等な話し合いができるようバランスを計ってくれる人がいる。他人の話をよく聞ける人だ。そしてそれは難しい。

だけどできる。忍耐と根気が必要だけど、できる。忍耐と根気と、真摯に取り組む気持ちはあるが、難しく感じる、できない、と思う人がいたとしたら、その人に足りないのは忍耐や根気や気持ちではなく、時間と協力者が足りてないのだと思う。

それは一人ではどうしようもないことなので、早急にそれに足りる方法や形ができればいいと願う。

 

この新聞記事では全てを知ることはできない。テレビニュースも見た。

嘘がないと信じた上で全部読んでも上澄みしかわからない。だけど私は事後が報道されて少し泣いた。まだ検証が続いていたこと、それは少なからず私の考えていた疑問や不安に近く触れていたこと、そして今後の進路指導相談に関係していくと思われること、事実を共有し認め問題を解決しようとする姿勢が見えた、から。

だけどもう戻らない。沢山のものが戻らない。私はずっと悲しいし、ずっと悲しいままでいる自分を望む。なぜこんなに悲しいのか、明確な答えはいらないと決めたので、私は今後もこのことをずっと考えるし、悲しむ。(私以外の人に「確かに残念な事だったけど、他人のことで何をそんなに悲しむのか」と問われても、そんな事を聞いてくる人が納得するような答えなどこの世界にはない)

「どうして?」の続きはわからない

「わからない」

いきつくところ、そうなる。理由があれば、それなら仕方ないね、と言って見送れるものではないから、わかったようなことは言えない。(わかるような心境になったり、思ったことがあるとしても)

いまだに、口をついて出そうになってしまう気持ちがある。

生涯消えない気持ちだと思う。色や形を変えて、ずっとある気持ち、忘れないで、いかないで、今ここにいてくれたら、笑った?

 

私の母の死因について、子供には「事故」と伝えている。他、伝えなければいけない関係の他人にも同様事故と伝えている。私の兄弟とも「そういうことにしよう」と約束めいた話をした。

私は、本当の死因を話すことが恥ずかしいのではない。真実を伝えられた他人が「なぜ?」と思う、あるいはそう聞かざるをえない状況が嫌だからだ。遺書はなかった。決定的な理由などわからない。それに、自ら死なない者にとって、自ら死を選択した者の気持ちや理由など、理解できないしする気もないのだ。

「そんなことで」「何もしななくても」「助けてと言えばよかったのに」

そんなこと、をそんなことではないと聞いてあげられただろうか。助けてと言われたら故人が安心にどっぷりと浸れるような救いを提供できただろうか。死ななくても良いというのは生きるべきだと説得することだろうか、できるだろうか。

その説得を受け入れられない状態である自分を責める故人の悲しみや苦しみ、疲労はどれくらいのものだろう。

自らの死を選択したことがない人には、到底想像できない。

想像できない場所にいる、ということに気づいてあげられなかった、残された者の無念も、気づいてはいたけど、どうすることもできなかった者の無念は、故人の生きた証を、いたるところに見つけるようになる。仕草のように、癖のように、生きた証を探してしまう。見つけてしまう。

それは悪いことでも良いことでもない。癖が一つ、増えただけだ。その癖が、鼻につくからやめろという人もいる。気にならない人もいる。気づいても気づかないふりをする人もいる。それだけだ。

忘れないで、そう思う。でも、忘れないことは無理だ。残された者は生きていくから、残された日々を「この日まで」とは知らずに生きていくから、記憶が増えていくから。

忘れていくことに苦しみを感じる人もいる。でも生きていくと、忘れていくのは故人の事だけじゃない。自分の昔のことだって忘れてしまう。沢山の事を忘れて生きていく。そして、思い出すこともできる。

音や匂いが、しっかりと結びつけた記憶がある。それは自分が意識して結びつけたものではないけど、リンクしてずるずると蘇る記憶がある。「その時」が来る。

それまでは忘れててもいいのだと、思うようになったのは最近の事で、そんな自分を責めなくなったのも最近だ。

私は今、匿名でブログに気持ちを吐き出している。この行為全てが自分自身のためだ。

故人を慈しむ気持ちで書いてるわけじゃない。忘れたくなくて書いてるわけじゃない。自分自身の気持ちの整理のためだけに書いている。

ただ、時期を間違えば、呪うような恨みつらみの塊であった頃であれば、その時の矛先は決まっていたので、最低なことをしていたかもしれない。

矛先にいた人物たちは情報弱者だったので、それをいいことに社会的窮地に追い込んだかもしれない。母の死が、世界の隅っこで起きた些細な事実なだけなら、矛先にいた人物の社会的窮地だって、些細な事実にしかならないだろうと考えていた時期があった。

それをしなかったのは、自分の子供との生活があったからだ。呪いに生きる人生は一人じゃないとできないと諦めた。

ということは、私は一人であったなら、呪いに生きたんだなと改めて思う。

賢いか賢くないかで言えば、全然賢くないし、愚か極まりない。私という人間はそういうものだった。

今日の私を作ったのは、単調で平坦な日々を過ごしたいという希望と、そしてその難しさを教えてくれた自分の病気だった。

病気により、体力も意思決定能力もなかった私は、今日まで私を生かした。

 

 

 

沈殿

上澄みは透明度を増している

時間を正しく過ごしていれば 重いものから沈んでいく

順に

 見上げたら空は光って見えた 屈折した光は奥底まで照らした

 知らないルールに従って たしかに届いた 辟易した過去からの光

 あらわになった足元は泥水に沈んでいた 選ばれし重い泥 

 ただそれより重かっただけの泥に纏わりつかれて見ていた どこからくるのかを

 なにもかもをしらずにここに溜まってしまった

ぬるり ざらり うらぎり さえぎり ひかり 風もないこの混沌にひらり手のひらを

返して持ち去ったものすべて返して どうにも許せない 

我が物のようにひけらかしてくれるな それは私の重い泥だ

時間を捨てて ここに落ちてくるまで 待っていたんだ

大切なものなんだ

くだらないといって 見せびらかすな

 

 

 

φ

ただじっと黙って見守るというのは難しい。

ふたりでいるのに、一人の世界にいる人の隣に寄り添い続けるのは簡単ではない。自分ひとりでいるよりも孤独だ。自分以外の人がいてくれて初めて孤独を知る。思い知らされる。

 

子供の成長を近くで見ている。定点観察のように、毎日。飽きることはない。

時々ついて出てしまいそうになる「余計なお世話」をなんとか飲み込む。これも難しい。日々我慢で、時々胃が痛くなる。

思春期青年期の成長はめまぐるしく、とても不安定で、攻撃的で、ゼロイチの謎の思考の連続で、潔癖症で、完璧主義で、大人の粗探しに余念がない。楽しめる趣味は私よりもたくさん持っているようだけど、それでも不満は尽きず、そんな自分が嫌いだと言ったり、でも自分の事しか好きじゃないと言ったりする。とても忙しい。

失敗するのが嫌だからしたくないことのほうが多い、という。

少し気持ちわかるなぁと思う。だけど私は大人の端くれなので、それは無茶だよとわかっている。誰だって失敗する。失敗しないとおかしいときだってある。

失敗は悪い事じゃない。失敗しなくなるための練習だと思う。

そういうことを考えてた一か月だった。

子供を通して考えていたことは、今の私にも言えることばかりで、うなだれてしまった。でも嫌な気持ちにはなっていないし、自分を責めてもいない。

今の私が恐れているものは、たったこれとこれとこれだけのことだったのか、と顔がゆるんでしまった。

 

私の中心点から全方向に向けて、自分の子供に対するそれと同じような気持ちにはなれない。私は私の大切なことしか大切に扱えない。私は私の立ち位置に覚悟を持ち、接していく。私の大切なものや事が、ほかの人にとってはそうじゃない。そんなのはよくある。みんな、自分の場所で、それぞれに守っている。

時々衝突や摩擦が起きる、そんな時は、順番のやりとりだけで済むことなら譲り合えればいいと思う。難しいけど。

出来ると思う。

私を支えたのは知らない人が歌う言葉、頁を捲るたびに膨らんだ描写のための言葉

音楽と小説と映像作品に支えられ、すくわれた日々がある。たくさんある。

何度も聴く。何度も読む。

何度聴いても初めて出会ったみたいに涙が出る。

何度読み返しても初めて読むみたいに最後にため息が出る。

音が終わったとき、満たされて、直後、喪失感が生まれる。だから何度も何度も繰り返す。私の中に染み付くようにしてるみたいだ。満ちるたびに失うなんて少し笑える。

音楽を聴けること、本を読めること、私は幸せだ。

好きだと思う歌に出会えるのも、本に出会えるのも、映像に出会えるのも、奇跡だ。

あの人がたくさん歩きたくなるような靴をつくろう 

その言葉を聞いて私は泣いた。なんてスマートで素敵な思いだろうと思った。

私の現実の世界では、そういう人に出会ったことがない。

私が現実の世界で人と出会わないような生活をしているからだ。

だから出会うような生活にしようとは決して思わない。

 私はその物語を大切に思っているだけで、脳に、体に、浸透していくように繰り返しみるんだ。そうしていると、私の中で疎かになっていた自尊心が還ってくる。

もしあなたの方に闇が訪れて視界が狭くなってしまい言葉も届かなくなったら

あなたが僕にしてくれたように寄り添うことはできるだろうか

その言葉を聞いて私は安心できた。そのように考える人がいると知ったからだ。

私の現実の世界では、そのような人に出会ったことがない。

私の周りには連れ出して場所を変えようという人ばかりだった。

視界が狭くなっていた私には、どの場所に移っても、見える景色に変化はなかった。

無味無臭の置物みたいな私だった。

置物の私に寄り添ってくれるような変な人がいたら、髪を急に伸ばす事が出来たかもしれない。(ジョーク)

 

思いを言葉にしてくれる人、それを奏でてくれる人、それを歌ってくれる人、

生活を文章にしてくれる人、それを物語にしてくれる人、それを映像にしてくれる人、それを全部、私の手元に届くように、形にしてくれる人、たくさんの人、たくさんの人がいてくれて私は自尊心を思い出し、ひとになれる。 

散り散りになっていた感情が、磁石みたいに私の元に帰ってきて、泣いたり笑ったりできるようになる。苦しい悲しい、嬉しいって思えるようになる。

生きてるって思う。ありがとう。

 

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my backnumber to lock the door on the inside ジュニア辞書で精いっぱい作った後ろと前の文脈です。タイトルはこんなニュアンスで表したかったです。